大 隅 史 談 会
―平成28年度月例会―
第9回 2月例会
日 時 平成29年2月26日(日) 13:30〜16:30
タイトル 「橋牟礼川遺跡について」
発表者 中 村 耕 治
会 場 鹿屋市東地区学習センター
参加料 500円(資料代を含む)
橋牟礼川遺跡について 中 村 耕 治 (元鹿児島県文化財センター次長)
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橋牟礼川遺跡が最初に発掘されたのは大正6(1917)年のことで、今年はちょうど百周年に当たっている。
大正7〜8年の本格的な調査で、それまで古い土器を「アイヌ式土器」と呼び、それより洗練された新しい土器を「祝部式土器」といい、両者の差は(1)民族の土器づくり能力の違いによるもの、とするか、(2)制作年代の違いによる、とするかで両論あったが、指宿市の橋牟礼川遺跡という同じ場所で、下層からは「アイヌ式土器」、上層からは「祝部式土器」が確認されたことにより、民族の違いではなく年代の差によって土器の形態が大きく違うことが判明した。
そのような学説上大きな役割を果たしたということで、大正13(1924)年に国指定遺跡となった。
○ 橋牟礼川遺跡にみられる開聞岳由来の火山灰層
昭和50年代に指宿高校の地学か教員であった成尾英仁氏によって研究が進められ、地層に残る大規模な噴火についての時期をほぼ確定した。
それによると、「黄コラ」は縄文時代後期(約3500年前)、「灰コラ」は縄文時代晩期(約3000年前)、「暗紫コラ」は弥生時代中期(約2000年前)、「青コラ」は古墳時代(約1400年前)、「紫コラ」は平安時代(874と885年)にそれぞれ対応することが分かった。
○ 大隅半島の遺跡にみられる「コラ」について
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黄コラ(約3500年前)
前田遺跡(南大隅町)…縄文時代後期の指宿式土器に付着していた。
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暗紫コラ(約2000年前)
山ノ口遺跡(錦江町)…弥生時代中期の祭祀遺跡。山ノ口式土器に付着。
田原迫之上遺跡(串良町)…弥生時代中期の竪穴住居内に堆積。
町田堀遺跡(同上)…弥生時代中期の竪穴式住居の埋土に堆積。
永吉天神段遺跡(大崎町)…弥生時代中期の住居内
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青コラ(約1400年前)
塚崎古墳群(肝付町)…古墳周溝の埋土中に堆積
唐仁古墳群(東串良町)…同上
立小野堀遺跡(串良町)…地下式横穴墓の土器片に付着
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紫コラ
岡崎古墳群(串良町)…古墳周溝の埋土中に堆積
荒園遺跡(大崎町)…片薬研堀の埋土中に堆積
春日堀遺跡(有明町)…古墳時代のV字状溝の埋土中に堆積
○ 青コラに被覆された須恵器(長頸壺)
古墳時代と思われる大きな溝で発見された須恵器(代付き長頸壺)は7世紀後半のもので、中に青コラが入り込んでいたことから、青コラが降っている時に地表面にあったものと考えられ、青コラが7世紀後半に降り注いだと時代特定ができた。
○ 橋牟礼川遺跡から出土した主な物
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子持ち勾玉(古墳時代=上の写真)
・鍛冶炉跡(奈良時代)
・架橋のためのピット(奈良・平安時代)
・道跡と杭列(奈良・平安時代)
・馬の骨埋納遺構(奈良・平安時代)
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