大隅史談会月例会


平成26年度 

  第1回月例会・・・平成26年5月25日(日) 13:30〜16:30
                 場所:県民健康プラザ鹿屋・健康増進センタ
健康科学教室

   【テーマ】
  月例会開始記念講演 「大隅国成立と姶羅郡鹿屋郷」

    
【講演者】  文学博士 中村明蔵先生(鹿児島国際大学大学院講師)

          ※鹿児島の古代史(隼人研究)の第一人者である中村先生をお招きし、大隅国成立
          (1300年前)の状況と、その時代の南九州で起こった出来事をお話ししてもらった。



   
  ○以下は提供された資料(レジュメ)より作成

1 『古事記』
     大八島国の生成
…筑紫島の段に「熊曽国」(建日別)が見える。

2 『日本書紀』
 677年(天武天皇の6年)から679年・681年・682年・683年・685年・689年・692年695年(持統天皇の6年)まで、南島(種子島・屋久島・奄美諸島)の記事や大隅隼人・阿多隼人の記事が見え、特に692年には大隅と阿多に仏教が伝来したことが見える。

3 『続日本紀』
 698年(文武天皇の2年)から721年(養老5年)までの記事。中でも710年(和銅3年)の「日向国は采女を貢ぎ、薩摩国は舎人を貢ぐ」という記事は、むかし日向の諸県君が娘の髪長姫を仁徳天皇に輿入れさせた伝承を想い起させる。
 713年(和銅6年)4月に日向から肝付・曾於・大隅・姶羅の4郡を割いて大隅国を分立したが、この中の姶羅郡に鹿屋郷が属していた。
 姶羅の「姶(あい)」とは「美女」という意味で、これも日向の髪長姫説話を髣髴とさせる。実際に美人が多かったのだろう(筆者注・・・この箇所は聴衆に大いに受けた・・・)。

4 『和名抄』
      大隅国・薩摩国・日向国の郡郷の一覧。上記3『続日本紀』への史料として。

5 重要遺跡
 (1) 王子遺跡・・・昭和56年から3年間発掘調査された弥生時代中期の遺跡。遺構の中で「棟持ち柱付建物」は伊勢神宮内宮の建築様式と同じで、国内でも数例しか見つかっていない。ルーツは南方の高床式建物と思われる。
 (2) 祓川地下式横穴墓…昭和25年に西祓川公民館前の農道整備中に地下式古墳が見つかり、副葬品に短甲・兜・刀・剣があった。特に短甲は前胴開閉式の「横矧板鋲留短甲」といい、優品である。
 (3) その他…「埋文センターだより」から引用した東九州自動車道建設に関わって発見された大隅半島各地の遺跡についてコメントあり。また、鹿児島大学博物館助教の橋本先生が発見した大崎町神領古墳10号墳出土の「武人埴輪」(盾持ち人埴輪への言及があった。

6 (付録)『大隅国神階記』に見える神社
 天喜二年(1054)にまとめられ提出された各地神社の「神階」の一覧。肝属郡には49社の記載があり、従二位(7社)・従三位(5社)・従四位上(25社)・従四位下(12社)に分類されている。明確に今日につながる神社名というのはごく少ない。

 ※以上は大雑把な要約である。詳しくは来年度発行の 『史論集 大隅58号』 に掲載する予定。

(追記)中村先生は<鹿児島>の語源について「火山の噴火のように煌めくあるいは明るく光る溶岩が流れるそのさまを神話で<カグツチ>ということから考えると、<カグシマ>(輝く島=桜島)から来た名称であろう」と質問者への回答で言っておられた。
 しかし、鹿児島を含む九州方言では「オがウになる」という法則があり、「カゴシマ」が「カグシマ」には転訛しても、もともとあった「カグシマ」(輝く島)が「カゴシマ」に転訛することは有り得ないのである。若干の疑問が残る部分である。(編集子)

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