大 隅 史 談 会

 ―平成26年度月例会― 

    
第4回 8月例会

日 時   8月24日(日) 13:30〜16:30

 テーマ   ・「雅楽の歴史」「高須の今昔」 上原義史
  & 
 発表者   ・「邪馬台国・投馬国・狗奴国(続き)」 松下高明
 

 会 場  県民健康プラザ鹿屋健康増進センター健康科学教室
       
(※問い合わせの際の略称では「ケンプラ小ホール」とします。)

 参加料  500円(資料代・会場費)


 
※会場アクセス…県立鹿屋農業高校より北東へ約200b右側。県民医療センターの隣り。
 ※問い合わせ先…松下(0994−49−2360又は090−2083−2360)



 
  大隅史談会8月例会の発表の様子(会場は鹿屋健康増進センター健康科学教室)


(1)「雅楽について」「高須今昔」 発表者 上原義史氏(薩摩雅会)

  【発表内容】

 〜雅楽について〜
 薩摩雅(みやび)会という雅楽演奏の会を主催している。
 主に学校関係を訪問し、和楽のひとつである雅楽および雅楽に用いる楽器を提示して、生徒たちに
雅楽に触れ、学ぶ機会を提供している。また音楽専攻の教員たちの講習に呼ばれ、指導している。
 そのほか、毎年春に行われる島津庭園・仙巌園恒例の「曲水の宴」でも演奏を行っている。
 平成24年には「鹿児島県芸術文化奨励賞」を授賞した。

 楽器の種類笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・龍笛(りゅうてき)…以上が吹奏楽器。
          琵琶(びわ)・筝(そう=琴)
…以上は弦楽器。
          太鼓(楽太鼓)・鞨鼓(かっこ)・鉦鼓(しょうこ)
…以上は打楽器。

 全部で8種類の楽器を用いて演奏を行う。吹奏楽器の笙(しょう)は「天の音」、篳篥(ひちりき)は「地の音」、そして龍笛(りゅうてき)は「天と地をつなぐ音」を表している。
 雅楽は中国や半島から渡来した文化であるが、遣唐使が廃止された9世紀末以来国風化が進み、21世紀の現在まで平安朝の音楽構成がほぼそのままの形で伝えられてきたのは日本しかない。
 その面でも貴重な文化であり、今日学校教育に和楽器が取り上げられるようになった点は喜ばしい現象である。文化の継承と後継者の育成に努めて行きたい。


  まだ高校生という若い弟子(手前=龍笛担当)と笙(しょう)の演奏を披露する上原氏。


 〜高須今昔〜

 上原氏は高須町在住で、高須の歴史を毎月「うんだもしたん高須」という通信誌を発行している。
 今回は高須の歴史遺産である「大隅軽便鉄道」(高須ー鹿屋間)の敷設の話と「進駐軍高須上陸」の話をした。

 大隅軽便鉄道…大正4年(1915)7月10日に鹿屋と高須を結ぶ軽便鉄道(線路幅762ミリメートル)が開設され、高須の港湾機能と鹿屋の産業機能とが結びつけられた。来年がちょうど開通100周年に当たるので、開設の経緯を含む調査を行っている。
 軽便鉄道はその後8年して北の古江港まで延長され、港湾機能の勝っていた古江のため高須は次第に軽視され、通過地点の一駅であるに過ぎなくなった。軽便鉄道の本社も最初は高須にあったが、古江に移転している。

 進駐軍高須上陸…昭和20年8月15日に終戦となり、英米を主体とする連合国に降伏した日本には連合国軍(進駐軍)が配置され占領下に置かれたが、その最初の進駐軍上陸地が高須の金浜であった。9月4日のことであった。
 進駐軍の主力は米軍で、金浜に海兵隊員を中心とする部隊が上陸し、ブルドーザーを駆使してたちまち道路を造り、鹿屋の海軍飛行隊基地に駐屯することになった。
 来年の9月4日がちょうど70周年となるので、上記の軽便鉄道開設100周年とともに高須の持つ歴史的意味を重ねて調査していきたい。



(2)「邪馬台国・投馬国・狗奴国」(続) 発表者 松下高明

  【発表内容】

 先月の例会では上記の発表にわずか30分ほどしかなく、バタバタと説明してしまったので、今回もう一度解説をすることにした。
 それでも「倭人伝記載の行路」を逐一説明することは時間的に無理で、勢いプロジェクターで映し出したスクリーン画像を使っての説明になった。
 今回は自著の他に提示した「邪馬台国九州説」の4書について比較的詳しく解説したので、短い時間ではあったが聴衆の理解は得られたと思う。(具体的な内容は7月例会の記事にまとめてある)

 今回はもう一つの資料を使って、「鹿児島は本来<かぐ島>(火の島)であり、火の島とは桜島であるから、鹿児島の語源は<かぐ島>である桜島に因んでいる」という、近年、古代史の泰斗・中村明蔵博士までもが傾きつつある誤謬について論じた。
 骨子は5月例会をまとめた当ホームページでも述べたように「桜島のことを<かぐ島>と書いた文書はこれまで存在しない」(『三国名勝図会』による)のであり、「鹿児島」は「かこしま」と「こ」を「ご」と濁らないのが本来の読み(『倭名類聚抄』による)で、「かこの島」の意味であり、そう読まなければならない。「かこ(鹿児・鹿子)」とは「船子」のこと(『応神天皇紀』による)で、「水運業者」と言い替えてもよい。
 「かこ」はまた「かも(鴨)」にも通じ、「鴨」は手漕ぎの船でもある(『万葉集巻16・3866番・3867番』山上憶良の歌による)から、ホホデミが上陸したという<鴨着(ど)く島>とは、「鴨が朝鮮半島を経由して列島とを行き来するように、また鴨と言われる手漕ぎ舟による水運業者の蝟集する南九州」のことを指している。すなわち「鴨」と呼ばれる手漕ぎ舟を操って九州はおろか半島や南島への水運に従事する人々(かこ。鴨族とも命名できる)の多かった南九州は「鴨の発着する島=鴨着く島」であり、「鹿子(船子)の島」と呼ばれるようになったのであって、<かぐ島>(火の島=桜島)とは無関係の命名なのである。(そもそも<かぐ島>が桜島であるとはいかなる古文書に登場するのであろうか?)


                                         月例会の目次へ戻る