大 隅 史 談 会
―平成27年度月例会―
第7回 11月例会
日 時 11月22日(日) 13:30〜16:30
タイトル 平成外城(とじょう)巡り 〜肝属編〜
発表者 井之上 光徳
会 場 鹿屋市 東地区学習センター
参加料 500円(資料代ほか)
※会場アクセス…私立鹿屋中央高校より南へ約200b左側。
※問い合わせ先…松下(0994−49−2360又は090−2083−2360)
発表者 井之上 光徳 (史談会会員)
発表風景
【発表要旨】
1.はじめに
・武士だらけの国
薩摩藩の特殊性は武士階級の多さにある。
薩摩藩の武士の割合 @旧日向国内(ほぼ諸県郡) 士・率 42 %
平民 58 %
A旧薩摩国 士・率 29 %
平民 71 %
B旧大隅国 士・率 30 %
平民 70 %
(出典『薩隅日地理纂考』明治初期)
※武士階級の割合の全国平均は5パーセント程度なので薩摩藩は突出して多い。
※辺境のうえ土地は広く、しかも徳川氏の外様であったから、武士を多く配置した。それとともに農民層を土地に定着させ租税の安定収入を図った。武士といえども半農で、いわば「屯田兵」に近い制度であった。
2.外城制の概要
(イ)地頭衆中制から外城制へ…戦国末期―旧敵の領地に地頭を派遣して支配
藩政期―110余の外城を設け、地頭を置いた
・鹿児島衆中…鹿児島城下士―約4300人(平均持ち高 78石余)
・外城衆中(郷士)―約23300人(平均持ち高 4石7斗余)―地頭衆中制度
※城下士に比べ郷士の持ち高の少ないのには驚く。ただし郷士は畑など仕明地(開墾)
があり、イモ・ムギ類などはかなり自給できた。
・郷の支配体制…地頭―郷年寄―庄屋―名頭―名子
※遙任地頭が多くなり、現地の実質的支配者は郷年寄であった。
(ロ)門割制…近世封建制の極北―五人組のような農民支配体制(共同責任制)
五公五民をはるかにしのぐ八公二民と言われる
・貢租…薩摩では籾(モミ)一石に付き玄米3斗9升8合であり、八公二民と言われる由縁
である。
(ハ)仙台藩の48館・人吉藩の外城制…薩摩藩との相違
(二)佐土原藩、出水・大口・高岡・都城…鉄壁の守り
3.外城跡(旧麓)の現在
肝属郡の外城跡(地頭仮屋を中心とする麓地区および野町地区)の現在の様子を写したものをプロジェクターで紹介した。
紹介したのは百引郷・高隈郷・新城郷(私領)・花岡郷(私領)・鹿屋郷・串良郷・高山郷・姶良郷(現在の
鹿屋市吾平町)・大姶良郷・内之浦郷であった。
(注)新城郷…島津氏一門垂水家の分家。島津義久の娘新城様の化粧料で成立。4700石。
花岡郷…島津氏20代綱貴の三男久儔(ひさとも)が分家。大姶良郷の内、木谷村と白水村を領地とした。 一所持ち家で、6300石。
4.結語
・三割の進歩性と七割の後進性
・外城制とは、鉄の如き地頭支配=地頭衆中制である。
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