大 隅 史 談 会

    ―平成26年度月例会― 

        
第9回 2月例会

    日 時   平成27年222日(日) 13:30〜16:30

    タイトル   <大隅半島の古墳について>

    発表者    中村耕治氏 (元鹿児島県埋蔵文化財センター次長)

    会 場  
  鹿屋市 東地区学習センター
 
    参加料   500円(資料代ほか)


   
※会場アクセス…私立鹿屋中央高校より南へ約200b左側。
   ※問い合わせ先…松下(0994−49−2360又は090−2083−2360)



 <大隅半島の古墳について> 
       講話者 中村耕治元県埋蔵文化財センター次長

  大隅半島の古墳・地下式横穴墓及び大口盆地の地下式横穴墓・板石積石棺墓


        
東回り九州自動車道建設にかかわる発掘調査の成果を発表する中村氏

  【講 話 概 要】


・大隅半島とくに志布志湾沿岸部においては、かっては5世紀前半代とされる志布志市の飯盛山古墳が最も古いとされたが、近年の調査で、肝付町(旧高山町)の塚崎古墳群の中に4世紀代にまで遡り得る円墳があり、志布志湾岸では最も古い古墳群であることが判明した。
 しかも円墳は前方後円墳より年代が下がるので塚崎古墳群内の前方後円墳(5基)はもっと古く、3世紀代の可能性も言われている。

・肝属川流域の古墳群の首長墓の系譜は塚崎古墳群→唐仁古墳群(東串良町)→横瀬古墳(大崎町)と移って行ったと想定ができる。また、3年前に鍔の部分に「銀象嵌装心葉文」が彫られた太刀が副葬されていたのが判明した吾平町の中尾地下式墓群は内陸部にあるが、かなりの権力者がいたと考えられる。

・主な「前方後円墳」
 1
飯盛山古墳…志布志市。墳長80m、壺型埴輪を有する。ガラス製の勾玉・丸玉・小玉が出土
           している。中期中葉(5世紀前半)。
 2
唐仁大塚古墳…東串良町。墳長154m、竪穴石室内に「刳り抜き式舟型石棺」を納める。石棺            外に短甲が副葬される。中期初頭(5世紀初め)。
 3
横瀬古墳…大崎町。墳長140m、竪穴式石室、鉄器があったとされる(盗掘で不明)。埴輪列を         想定。TK216段階の初期須恵器が出土。中期中葉(5世紀後半)。
          (注)TKとは堺市の陶窯跡遺跡群の中の「高倉(Takakura)」窯跡の頭名で
             TK73がもっとも古いとされる。

・近年の調査において愛媛県の市場南組窯産の須恵器の出土が増加していることが注目される。地下式横穴墓に供献された物だけでも、岡崎18号墳の裾部に掘られた地下式横穴墓、塚崎31号墳の周溝部に二個、立小野堀地下式墓などで発見されている。とくに塚崎31号墳の周溝に埋設された二個体では、一つが市場南組産であり、もう一つは陶邑産で、産地の違う物が同時に供献されており、当時の地域間交流の広さを物語っている。



          メモなど取りながら熱心に聞き入る参加者
まとめ
  志布志湾沿岸部はすでに縄文時代中期に瀬戸内地域との交流があったことが明らかになっている。弥生時代になると交流は一段と頻繁になり、矢羽透高坏(やばねすかしたかつき)や櫛描文の入っている土器が発掘されている。
  古墳について見ると、5世紀代としては巨大な唐仁大塚古墳(154m。周濠まで入れると180m)や横瀬古墳(140m。周濠は二重で、すべてを含めると200mほど)が築造されるが、全国的にも引けを取らない規模である。遺物でも、大阪府堺市の陶邑窯で作られたと思われる初期須恵器や伽耶系の陶質土器・古式土師器および短甲や衝角付甲等が見られる。
  この地域は縄文・弥生時代以来の瀬戸内・畿内との交流が古墳時代になっても継続し、中央勢力と密接な関係を持っていたものと思われる。



(質疑応答)
Q地下式横穴墓は高塚古墳に比べると築造が簡単なので、身分的には低い人たちが作ったのでしょうね?
回答…一般的にはそうでしょうが、そうとは言えないのがたとえばこの地域では吾平町の「中尾地下式横穴墓群」で、ここでは銀の象嵌装太刀が出土しましたし、つい最近宮崎県のえびの市の「島内地下式横穴墓群」の一横穴墓から大量の鉄器・鉄剣・短甲等が装飾品類とともに出土しています。これらの王者級の副葬品を持つ地下式墓から見ると、果たして高塚とくに前方後円墳に埋葬された首長と、どちらが身分が高かったのか、一概には言えず、今なお困惑している状態です。

Q『予言・大隅邪馬台国』と言う本が出版されてから、「唐仁大塚古墳こそが卑弥呼の墓だ」と執拗に言い張る人が多くなっていますが、先生の見解はどうですか?
回答…唐仁大塚古墳の石室には長方板革綴り鎧が副葬されているので、卑弥呼の死んだという3世紀半ばの古墳では有り得ません。私は卑弥呼をどこの誰かという特定の人物ではなく首長クラスの巫女のような存在と考えていますから、邪馬台国も特定する必要はないと思います。

 ※以上の他にも多数の質問があったが、割愛する。

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