東串良町の史跡
唐仁古墳群

東串良町新川西地区に展開する唐仁古墳群は144基の高塚古墳が
群集する鹿児島県下第一の古墳時代のモニュメントで、昭和九年に国
の史跡に認定されている。
 大隅半島では他に40数基を数える隣り町・肝付町高山の塚崎古墳
(同じく国指定史跡)があるが、桁違いの規模であり、また大隅・日向
南部に多い地下式墳墓を全く伴うことのない古墳群としても知られてい
る。
 特異なのはそれだけではない。古墳群144基のうち前方後円墳が5
基確認されているが、最大の一号墳(大塚古墳)の長径が185メートル
(環濠を含む長さ)もあるのに次に大きい百号墳(役所塚古墳)は57メー
トルとその差が極端なことである。塚崎古墳で最大なのが花牟礼古墳で
66メートルほどであるから、大塚古墳がいかに隔絶した大きさのもので
あるかが分かる。

 鳥居をくぐったすぐ右に建つ「古墳群の概要」という案内板によると

<後円部の頂上にある大塚神社の神殿と拝殿の渡り廊下の直下に竪穴
式石室がある。この石室は深さ84cm、巾約124cm、長さ359cm、内
部は朱をもって塗装し扁平な花崗岩5枚をもって蓋石としている(写真右)。
 石室の中央に硬質の凝灰岩製一枚石の舟形石棺が安置されている。
 石棺は棺室と蓋石からなるが棺室は地下に相当埋没している。
 蓋石は長さ293cm、巾87cm、厚さが30cmもあり、大きいことは日本
一(注・昭和九年当時)で、石棺は未だ開かれたことはないものと認めら
れる。棺外の北側に短甲の鎧一領が納めてある。>という。

 
 この説明によると @石室は竪穴式で内部に朱が施されている A石棺
は舟形であり、材質は凝灰岩。蓋は3mもある花崗岩の一枚板 B副葬品
として鎧の一種の短甲が置かれていた などの特徴があることが分かる。
@とBからおよそ五世紀半ば頃の築造と考えられている。Aの特徴は際立
っていると思われるが、余程の権力者が埋葬されたに違いない。惜しむらく
は昭和九年に調査されてすぐに国の史跡に指定されたため、その後の詳し
い調査、なかんずく石棺の内部調査がなされていないことである。
 戦前の国家主義・皇国思想の呪縛を解いて、是非とも精査に着手してもら
いたいものである。 

後円部頂上に宮が建ち大塚神社となっている

石室の蓋石が一枚展示してある

←後円部の樹林が左手に見える。草の部分が周濠で巾は優に20メートルはある。このあたりの平坦地の標高はわずかに5メ−トルほどで、ほとんど掘り下げる必要のないくらい地下水位は高かったと思われる。湿地帯に突き出た砂嘴に築かれた超低地古墳群である。 

マップ