神武天皇の実在が否定されている今日の日本の歴史学
のもとでは、同じ理由からその「東征」も無いことになって
いる。
 いや事実あったのだ、などと言えば常識が疑われかねないが、太平洋戦争の前までいわゆる「皇国民教育」によってそれは正しいことだとされかかっていた。されかかっていた――というのはその検証がなされる前に敗戦を迎えてしまったからだ。
 同様に、南九州が舞台になっている天孫降臨神話もおとぎ話に過ぎない―と、こちらはもっと完膚なきまでに否定されてしまった。歴史教科書には一切載せられなくなったのは周知の通りである。

 「神武東征」はそのとばっちりを受け、日向への天孫降臨があり得ないのだから、その三代後の神武による東征もあり得ない、と極めて論理的に、もう考える必要はないとばかり完全に無視されてしまった。
 同時にそのことを記述している古事記・日本書紀という最古の歴史書も、信じるに足りない、と、まともに読まれることが無くなった。これは大変惜しいことである。

 だが肝属川河口の柏原砂嘴(砂丘の一種=上の写真の左手から伸びる岬がそれ)の中には、「神武天皇御発航之地」という大きな石碑が建つ(中の写真)。太平洋戦争直前に立てられたものだが、敗戦によって神武東征の真相はうやむやになってしまった。まともに取り上げるのは愚かしい者のすること、というような戦後の風潮が、それを後押しした。


 下の写真は「神武天皇御駐蹕(ちゅうひつ)所の跡」といい、東征に出発する直前に宿営した所にお宮が建てられているのだが、今はこういう旧跡も出来すぎていて余計に信じられないー―というような解釈になってしまっている。

 天皇の祖先が天から降りてきた―などは確かに信ずる必要はないが、神武天皇に当たる王がいて、ここ肝属川の河口で軍船を整え、九州を北上しながら各地の豪族を糾合し、あるいは武力で支配しつつ、ついに大和入りを果たした可能性はかなりあると考えていいだろう。
  
 その東征の主体を筆者は魏志倭人伝上の「投馬国」とし、神武の本性を「記紀」には神武の子として描かれている「タギシミミ」である、とする。

 「記紀」の描く「神武東征」は単なるおとぎ話ではない。そういう目で「記紀」を読み返してみたいものだ。

肝属川は権現山の真下から太平洋に注ぐ

伝・神武天皇出航地
マップ