鹿屋市の先史・古代遺跡

遺跡名 時代区分 遺構・遺物および遺跡の特徴
 1  西丸尾遺跡(白水町)  旧石器〜縄文草創期 ナイフ形石器文化期では両面加工した希少な尖頭器が出土。細石刃文化期では水晶製の細石刃が出ている。縄文草創期まで礫群が切れ目なく見られる
 2  榎崎A遺跡
       (郷之原町)
 旧石器〜平安時代 旧石器では細石刃の型式分類に役立つものが出土。また平安時代の墓制と思われる周溝墓5基が出た
 3  榎崎B遺跡
       (郷之原町)
 旧石器〜平安時代 旧石器時代ではより古いナイフ形石器が出ている。縄文時代は前期から後期まではなく、弥生時代は無出土。平安時代の土師器に「箇」の異体字があった
 4  伊敷遺跡 (南町)  縄文草創期〜古墳時代 鬼界カルデラ起源のアカホヤ層(6400年前)の下、かつ薩摩火山灰(10500年前)の上で石坂式土器(早期)、さらにその下から隆帯文土器(草創期)が出土して、早期と草創期の層序が明確になった。
 5  飯盛ヶ岡遺跡
        (上野町)
 縄文早期〜弥生時代 縄文早期の土器がきわめて多種類出土(吉田式・石坂式・苦浜式・平拵式・塞ノ神式など)。苦浜式は種子島にも出ている。集石遺構も多様性に富む。
 6  打馬平原遺跡
         (打馬)
 縄文早期・前期
 弥生時代
縄文早期の前平式・石坂式・塞ノ神式土器が出土。他に環状石斧、局部磨製石器、装身具が出ている。
 7  岩之上遺跡(高須町)  縄文早期 早期の石坂式・吉田式土器が出土。石器は石鏃、磨り石、石皿だが、石鏃の量は少ない。
 8  神野牧(しんのまき)
  遺跡  (西祓川町)
 縄文早期〜晩期 遺物では特に前期の曽畑式土器が多量で、三つの型式に分類できるほど。石器の材質も豊富で、大分県姫島産と見られる剥片素材の石核、佐賀県腰岳産と見られる黒曜石が出ている。
 9  榎田下遺跡(大浦町)  縄文早期〜後期 土器は前期の轟式、後期では阿高式土器様の物が出土。中でも200点を超える石鏃が注目される。
10  榎木原遺跡(高須町)  縄文早期〜弥生、古墳
 近世
最も多かったのが縄文後期の土器と打製石斧で、縄文農耕の可能性を見る。土器では中期の船元式が注目され、瀬戸内との交流が示唆された。晩期では組織痕土器の完形も出土した。
11  水の谷遺跡
       (上祓川町)
 縄文晩期、弥生、古墳
 古代
二軒の竪穴住居跡からは、晩期の上加世田式、弥生前期の高橋T式土器が出土。中でも晩期に相当する朝鮮半島系の孔列文土器の出土は、半島との関係を示す資料として貴重である。
12  中ノ丸遺跡(大浦町)  縄文前期・後期・晩期、
 弥生、近世
轟式・曽畑式(前期)、指宿式、市来式(後期)、入佐式(晩期)の各土器。弥生時代中期末から後期初頭の竪穴住居、掘立柱建物跡、円形周溝墓を確認。
13  中ノ原遺跡(大浦町)  縄文早期〜晩期、弥生
 中世
縄文土器で注目すべきは後期で、在地系の指宿式・市来式に加えて西北九州系の納曽式・西平式がまとまって出土した。
14  王子遺跡 (王子町)  縄文早期、弥生中期 昭和56年の発掘で、41件もの弥生集落跡が見つかり、南九州の後進性を否定した遺跡。特に注目されたのは「棟持柱付掘立柱建物跡」6棟で、神殿建築の原型とも言われる。土器は在地系の山ノ口式以外に、瀬戸内、北部九州、東九州との交流を示すものが出土。鉄製のヤリガンナ、刀子も出ている。
15  高付遺跡 (白崎町)  縄文晩期、弥生中期
 古墳時代
黒川式(晩期)、山ノ口式(弥生中期)、成川式(古墳時代)の各土器。石器では側縁に抉りの入った石包丁、石鎌、磨製石鏃などが出土。
16  前畑遺跡(郷之原町)  縄文早期、弥生中期
 近世、現代
縄文早期の平拵式土器が多量に出土。中でも壺形土器は珍しい。弥生時代は中期の在地系土器が主に出るが、須玖式(北九州)、瀬戸内系の物も出土している。
17  根木原遺跡(花岡町)  旧石器、縄文草創期〜 中期・晩期、弥生、古墳
 近世
薩摩火山灰(10500年前)の下で、落とし穴が12基検出された。縄文土器では中期の春日式がまとまって出土。古墳時代の土坑墓に鉄鏃や短剣が副葬されていたが、大隅半島では初めて。
18  祓川地下式横穴墓
      (西祓川町)
 古墳時代 昭和25年の農道整備中に発見された地下式横穴墓に短甲と衝角付き冑が副葬されていた(県指定文化財)。平成17年冬、付近で同じ地下式墓が20数基もまとまって見つかった(副葬は鉄剣5、鉄鏃30以上)
19  鳥居ヶ段遺跡
       (輝北町)
 縄文前期、古墳時代
 古代
縄文時代は土器の破片のみ出土。古墳時代では土師器の完形が出ている。注目は古代の墨書土器で、2点で「三代」「万」の字が確認された。
20  益畑遺跡(串良町)  縄文早期 9400年前の桜島火山灰(P13)の直下に竪穴住居跡が2基検出され、上野原遺跡と同時代に同様な集落跡のあったことが確認された。連穴土坑は16基を数え、集石遺構もあった。
21  吉ヶ崎遺跡(串良町)  弥生中期〜古墳時代 大隅半島の弥生中期の在地系土器といえば山ノ口式だが、吉ヶ崎式土器はこれに先行する指標土器になった(甕形・壺形)。また検出した住居跡2基は焼失家屋であったが、これは大変珍しい。
22  岡崎古墳群(串良町)  古墳時代 大正時代は30基はあったといわれるが、現在確認されているのは高塚20(円墳18、前方後円墳2)、地下式横穴墓数基である。15号墳からは甲冑、ヒスイ製勾玉が、また最近、18号墳の横に祭祀空間が確認され、巨大な須恵器の甕が見つかっている。
23  上小原遺跡(串良町)  古墳時代 前方後円墳1基、円墳20基、これに若干の地下式横穴墓が共存する。地下式墳のひとつは羨道を含む玄室の長さ4.7bと大きく、土師器と刀子が副葬されていた。また、須恵器のハソウ(瓦泉)が出土している
24  中尾遺跡 (吾平町)  古墳時代 近くの地下式横穴墓とセットと考えられる40軒ほどの竪穴住居跡を検出。遺物で注目されるのが住居跡の「甑」と「鉄製の鈴」で、地下式墳からは馬具、馬鈴、円頭太刀など県内でも稀な物が出ている。
25  宮ノ上地下式
 横穴墓群 (吾平町)
 古墳時代 見晴らしのよい吾平小学校の校庭で発見され、現在15基まで確認される。人骨が残っていたのは3基だけで、直刀、刀子、鉄鏃などが副葬されていた。

トップページへ

〔出典:『先史・古代の鹿児島』(鹿児島県教育委員会・平成17年発行)の「大隅半島の部」より〕