昭和25年、公民館の近くの道路を改修中にポッカリと地下の空洞が開き、中から左の写真の鋲留(びょうどめ)短甲と衝角付冑および太刀、小型壺が発見された。
共伴の土器は弥生時代後期のものと認定されたが、この地下式横穴墓の築造年代は5世紀半ばの古墳時代中期とされる。

短甲と冑は現在、鹿屋市中央公民館に置かれて
おりいつでも見ることができる。(左の写真)

平成十七年の十一月、ほぼ同じ場所に、今度は大量の地下式横穴墓が発見された。その数は確認されただけで30を超え、これまで古墳が極めて少ないとされていた鹿屋市の古墳時代史を塗り替えることになった。

地下式横穴墓は霧島市を除く大隅半島と宮崎県の南半分に広がりを見せる特有の在地性古墳で、大隅隼人および日向隼人の築造によるものとして間違いないようである。同じ鹿屋市の串良町岡崎古墳では前方後円墳の土層の中に地下式横穴墓が掘り込まれるという共存の仕方をしており、論議を呼んでいる。

一般的にこの地下式横穴墓は前方後円墳が導入された後に、それに触発された形で築造が始まったとされるが、同じ地下式でもタイプが違い、おもに川内川流域に広がる地下式板石積石室墳は薩摩隼人のものであるが、その祖型と考えられている西九州系沿海部の石室墳は弥生時代に始まっているとされるので、まだ断定はできないと思われる。

五世紀前半を中心とする古墳群で現在21基
が確認されている。

シラス台地の突端に展開し、眼下に串良川と
その沖積平野を望む絶好の位置にある。

従来すべてが円墳だとされていたが、平成1
6年の発掘により三基が前方後円墳であると
確認された。

祓川地下式横穴墓の説明で触れたように、岡崎古墳群は高塚に地下式が同居しており、中でも
15号墳(前方後円墳)は個性的で、円墳の墳丘に地下式が掘り込まれ、出土品も長方板革綴短
甲(ちょうほうばん・かわとじ・たんこう)や頸冑・肩冑のそれぞれ一部とヒスイの勾玉など王者級の
物が出ている。今後さらなる究明の期待される古墳である。

 ※鹿児島大学の発掘により、肝付町の塚崎古墳、大崎町の下堀古墳と同様、岡崎古墳からも初期須恵    器の大甕(高さ90センチ)が出土した(平成15〜16年の調査)。

祓川地下式横穴墓群
岡崎古墳群
マップ
マップ
haraigawaiseki
okazakikofun
公式名: 薬師堂の古墳