
鹿屋市串良町下小原に鎮座する。
祭神は別雷命(ワケイカズチノミコト)。
山城国の上賀茂神社の分社で社司・石塚氏(のち宮地氏)が和銅2(709)年に供奉し下向した。
平安時代まで「従三位賀茂大明神」と
呼ばれ鎌倉時代以降、肝付氏の崇敬によって香取・鹿島の神を併せて祭ったという。

串良川のほとりの小高い丘の上にある。
祭神はスサノオノミコト。
祈年祭(春祭り)が毎年二月の二十日前
後に行われるが、豊作の予祝と言われる
神事は県の無形民俗文化財に指定されて
おり、地域のみならず他所からも大勢の人
が集まる。
木彫りのベブ(牛)を引き出して演じられる
農夫と神官のやり取りは絶妙のユーモアが
あり、見物人の哄笑を誘う。
このお宮は、一説によると崇仏論争に敗れた物部守屋が亡命し、隠れ住んだと伝えられている。
守屋の一族はその後、串良川を下りながら十五社神社、月読神社、事代主神社など串良川流域
に支配地を確保しながら、最終的に高山町(現・肝付町)に至り、四十九所神社の神事を司った
と伝えられている。


十五社神社(串良町岩広)
四十九所神社(肝付町)
串良地方では最も社格が高かった。
カモ族の来歴を偲ばせる神社だ