鹿屋市の中世より前は遺跡として祓川地下式横穴墓群があるくらいで、見るべきものはほとんどない。
文献的には日本書紀の景行紀で天皇自らが筑紫(九州)遠征を行った時に、南九州の熊襲を征伐した。その熊襲の首領を「アツカヤ・サカヤ」といい、共通の「カヤ」が鹿屋の地名の起こりあるいは逆に鹿屋から人名のアツカヤ・サカヤと名付けられたとされ、微かに古代が覗き見られるくらいでしかない。
その一方で中世になると俄然、史料が多くなる。鹿屋は鹿屋院という荘園であったが、これをめぐって大隅固有の豪族・肝付氏と根占氏の争奪戦、さらに島津氏がからみ、南北朝時代には南朝方の楡井氏が現れ、南朝と北朝の代理戦争の様相を呈したのである。
その頃の城はほとんどが山城で、シラス台地とそれをえぐった河川平野を望む高台の突端に多くの城が築かれた。次の写真で示す城跡はそのようなものの代表である。




鹿屋市北田町
鹿屋市大姶良町
鹿屋市南町
鹿屋市下高隈町
鹿屋市輝北町