笠野原・土持堀の深井戸

 鹿屋市串良町のシラス台地上に掘られた深い井戸跡。
人跡未踏の広大なシラス台地「笠野原台地」(60ku)の
開発はシラス特有の浸透性によりきわめて保水力に乏しく、
農業開発を長い間はばんで来た。

 それでも藩政時代の1700年代に、東市来の朝鮮系
陶工の移住者と甑島からの移住者によって、わずかな
がらも開発の手は入って行った。しかしそれも湧き水の
得られる所か、ごく浅い井戸で水の得られる所に限られ
ていた。

 藩政時代に広く行われていた「人配(にんべ)」政策に
よる西の人口稠密地からの移配も、米作りのできる下場地
帯が中心であった。だが明治に入ると農業も近代化・自
由化の波に洗われるようになり、大平原・笠野原台地に
夢を求める個人や企業が現れ始めた。

 深く掘りさえすれば水は出る――の信念で台地のあち
こちに深井戸が掘られた。深さは浅い物で30メートル、
深いのになると80メートルを越えた(最深は83m)。

 串良町細山田の土持堀の深井戸も、昭和2年に集落に
簡易水道が引かれるまで、人々の喉を潤し続けた。深さは
63メートル。牛を使って水をくみ上げた。

笠野原開発資料館

 鹿屋市下高隈町にある笠野原開発資料館は開発に取り組んだその子孫が建設し展示している珍しい歴史記念館である。

 開設者の安藤一夫さんは現在は製茶業を営んでいるが、先祖は現在の鹿児島市谷山からやって来た。自宅の近くにも土持堀と同じような深井戸があり、県指定を打診されたが惜しくも逃したという。

 資料館の建物は実際の旧家で、上高隈町にあったものだった。百年は経っているだろう。一時、屋根が瓦で葺かれたが、ここに移築後はわざわざカヤに葺きなおしたそうだ。作り手とカヤの確保は実に大変だという。

 資料館の内部は昔の生活そのままの姿を留めている。入口の勝手(台所)、高い上がり框、黒々とした柱、梁の上方はるか高く見えるカヤ屋根の裏、そして畳の間にきられた囲炉裏――と40年前には当たり前だった風景を見ることができる。

 安藤氏は自著 『石碑は語るー高隈の今昔』の中で、「水がなく苦労した笠野原台地の開発、笠野原水道、耕地整理、畑地かんがい・・・開発の水の供給は高隈地区の歴史であり、先人の苦労、高隈ダムで水没された204戸の尊い犠牲を忘れることのないよう当時の写真を掘り起こし、記録した」と書いている。
                 

   笠野原開発資料館

      開館時間   不定 (昼間に限る)
       休館日    不定 (安藤製茶のカレンダーによる)
       入館料    無料
      問い合わせ 0994−44−8508(安藤製茶工場)


       

 

県指定文化財(昭和57=1982年)

長いロープと桶が残されている

マップ

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