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「四十九所」のいわれは祭神の数によるもので、明治35年の『神社明細帳』には天神七代・地神七代・五伴緒神、他に三十二柱の神を併せて四十九神を祭る、とある。

 由緒は古く、永観二(984)年七月十六日に大伴大監兼行
(おおとものかねゆき=大監は大宰府の管理職名)が建立したという。しかし別説があり、兼行は再興しただけだとも言う。
 鹿屋市串良町細山田に鎮座する山宮神社が、崇仏論争に敗れて亡命してきた物部守屋の隠れ住んだ所で、その後次第に串良川沿いに下りながら勢力を扶植し、ついには高
山町のこの地にまで及んだ――とする伝承があることを考えると再興説に傾こう。

 とまれ、高山郷の郷社として格式・由来ともに確固たるものがあり、社殿が北向きなの中央あるいはその代行機関である九州北部の大宰府に対する「睨み」とも取れる。

南に聳える城山の北麓に鎮座する
     四十九所神社

四十九所神社の祭事で大きなものは春秋の大祭で
行われた「神舞」と秋の「流鏑馬」であるが、神舞の
方は現在は途絶えている。惜しいことだが、幸いにも
ここから伝えられたという同じ肝付町の岸良(きしら)
地区にある平田神社ではその神舞が保存されている。

 現在も行われている祭礼のハイライトはなんと言っ
ても「流鏑馬祭り」だろう。社伝によると肝付氏が高
山に居住して百年後に始まったというから、ざっと九
百年に近い伝統を持つ。県内はもとより全国的に見
ても最も古いもののひとつだろう。もと十月十九日に
催されていたが、現在は十月の第三日曜日に行わ
れることになっている。

 鹿児島言葉で長稚児(おせちご)に該当する12歳
から14歳ぐらい(中学生)の男子を射手に選ぶ。
 選ばれた子は騎馬、発射の稽古をしつつ、祭り当
日の一週間前から宮篭り精進〈家族と生活を別にす
る)をし、二日前からは七キロほど東の柏原海岸に
出向き汐掛け(みそぎ)をする。

 当日は中央の写真の鳥居の前から手前に向って
二町(200b余り)を、途中に設けられた三つの的を
目掛けて発射しながら駆け抜ける。カラフルに着飾っ
た直垂・野袴姿の少年の矢が的を射るたびに、観衆
からは大きなどよめきの声が上がる。三回走って合計
九射のうち何射が的中したかで来る年の豊穣を占うと
いう。

鳥居の前が長い馬場の出発点

一走が済んで堂々と鳥居前に戻る若武者

四十九所神社