二階堂家住宅

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国指定重要文化財(建造物)

 二階堂家は鎌倉時代、鎌倉の二階堂という地域に住んでいたが、
頼朝の庶子といわれる島津家初代忠久の家臣としてはるばる下って来たとされる。

 ただし忠久の本当の出自は近衛家に仕えていた惟宗広言である
 広言と、頼朝の乳母であった比企尼の娘「丹後内侍」との間の子こそが忠久(惟宗忠久)で、惟宗姓の本宗は秦氏であった。

 二階堂氏は初め、薩摩半島の阿多地区に所領を与えられており、大隅の高山郷に入部したのは肝付氏が島津の軍門に降り、阿多に
移封された天正8(1580)年以降のことである。

 元文5(1740)年造立の記録のある武家門より70年ほどあとの文化7年頃に建てられたらしい二階堂家は、鹿児島の典型的な二棟造りで、二棟が直角に交わるように建てられている。

 昭和61年から62年にかけて大改修があったが、重要文化財とあって、天井板一枚も逃さず、克明に記録しつつ行われた。

 元自民党副総裁・故二階堂進氏の実家である。
 
 昭和50(1975)年、指定。

城山を背景に造られた庭