山ノ口遺跡
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錦江町(旧大根占町)で発見された弥生時代中期の遺跡。

 昭和33年に砂鉄の採取地だったところに、偶然、土器や配石が掘り出された。調査の結果、予想を上回る各種出土品が見つかり特に男女ペアの岩偶や、石棒、列石(配石遺構)などから祭祀を行った跡ではないかとの見解が出されそれが定説になっている。

 土器では壺形土器の種類が多く、短頚・長頚・把手付きなどがあり「山ノ口式土器」として南九州弥生時代中期の示標土器となっている。その他に甕形土器、高杯形土器などが見られるが、いずれも比較的短期間のうちに消滅したとされている。

鹿屋の王子遺跡よりやや
後とされるが、王子遺跡に
は見られた瀬戸内式系の
土器はなく、その代わり北
九州の須玖式土器に似た
ものが出ている。土器には
暗紫ゴラと呼ばれる開門岳
噴出物が付着していたため
およそ二千年前の物と特定
された。

海岸に近い畑の中に
  立つ記念碑

白い車の前方が山ノ口遺跡。遠くに桜島が霞んで見える→

河上神社
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旧大根占町に鎮座。祭神はウガヤフキアエズノ命・神武天皇
イツセノミコト・イナヒノミコトでウガヤ一族を祭る。
 藩政時代の旧根占郷の郷社格の神社であるが、「河上」と
いう社名からすると川の上流にあると思われがちだが、近く
に川はない。むしろ海に近く、直線距離にして一キロもない所
にある。
 社叢林は暖帯照葉樹林の標本のようで、ナギ・イヌマキ・エ
ノキ・クス・タブ・アラカシなど多様である。

 中央右手の白い家の後ろが神社のある低い丘だが、さらにその奥にまるで新幹線のシルエットのような台地が突き出ている。これはメサ地形といい、2万3千年前に南九州をおおい尽くした入戸火砕流、いわゆるシラスの分厚い層が浸食作用で削られ、削り残された硬い部分がこの台地である。台地の上は決まって平らなのがこの地形の特色となっている。
 手前は海岸の砂のようだが田んぼであり、隣の旧根占町を流れる雄川から通じる用水によって米が作れるようになった。

錦江町の史跡