天神下の笠塔婆

 台石まで入れると実に総高346cmという巨大な笠塔婆が、とある個人宅の屋敷内に建っている。惜しむらくは半分に折れていることだ。

 刻まれた銘文から文永4年(1267)の建立で、施主は沙彌・道意である。道意は冨山氏第三代・義宗のことで一族の繁栄・安泰を願って建てたとされている。

 建立された場所は中世島津庄の祢寝院北俣の地で、冨山氏はその弁済使だった。この冨山氏はのちに大姶良、横山方面に定着し、豪族化する。

 県内では志布志市有明町蓬原にある笠塔婆が一番古いとされており、これは2番目にあたる。国内最古の物は熊本市にあり、安元元年(1175)の建立という。

 天神下という地名は、ここから直線にして150メートルほど南東の低い尾根の途中に「天神社」があることから付けられたようだ。

 
 

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笠塔婆としては県内唯一の指定(平成7年)
で、歴史資料部門に登録されている

お茶亭跡

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 嘉永六(1853)年11月12日から12月25日までの約一ヵ月半に
渡り、その二年前に薩摩藩28代を継いだ島津斉彬は家老島津石見
はじめ数十名を率き連れ、大隅半島から日向にかけての領内巡見を
行った。
 
 鹿児島から桜島に渡り、さらに垂水、花岡、大姶良、小根占、大根
占を経て田代に入ったのは、五日目の11月16日であった。
 花瀬の清流の近くで、味のよい田代茶が振る舞われた。紅葉の季節の盛りは過ぎていたが、新しく築かれたかまどの湯気があたりを漂い、初冬の山里の美しい風景とともに、いたく斉彬主従を喜ばせたことだろう。

 その時のかまどが当時のままに残されている。

ホケノ頭(かしら)遺跡

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(旧田代町指定)

旧田代町の鶴園地区の西の山手に、タバコの乾燥施設がある。
その取り付け道路を拡張する工事の際に見つかった縄文早期遺跡。

 田代町では縄文早期の遺跡はここの他に大原地区の「荒田原(あらたばる)遺跡があるが、ホケノ頭(かしら)で見つかったのは「岩本式土器」といい、一万年前の様式の土器であった。
 
 しかも4m×5mという狭い範囲に、完形に近いものが12個も現れており、その密度の高さは驚異的と言っていいらしい。

 南大隅地区(大根占・根占・佐多・田代)では旧田代町にしか縄文早期の物は発見されていない。他に大隅半島で発見されているのを見ても、ほとんどが標高の高い山中である。
 早期のころはかなり気温が高かったのだろう。

乾燥施設の外壁に立つ案内板