旧官幣大社。祭神はニニギノミコト 相殿に后のコノハナ
サクヤ姫 子のホホデミノミコト以下日向三代の皇孫を
を祭る。
官幣大社になったのは明治七年で、神宮号もその時に
付けられた。現社殿は正徳五(1715)年に、時の薩摩藩
主島津吉貴により寄進され、今、国の重要文化財になって
いる。
神社はもと高千穂の峰とその西に連なる御鉢火口との
間の〈背門丘(せとお)〉にあったが、噴火のため炎上し、そ
の後天暦年間(950年頃)に性空上人によって高千穂河原
に下ろされて奉祭された。
だが、そこも噴火でやられ、ついに今の社地に移
ったという。ひときわ活火山の多い南九州ならでは
の由緒が垣間見える話である。
右の写真は南から見た高千穂の峰だが、頂上の
ピークの左手ややへこんで見える部分が御鉢に当
たる。今でも時折り薄い噴煙を上げることがあり、
高千穂河原のビジターセンターでは登山注意情報
が張り出されていた。
記紀に記載のある「筑紫の日向のクシフルタケ」
「日向の襲の高千穂の峰」がこの霧島を指すのか
それとも宮崎の高千穂町の二上山を言うのかで
両県の間で見解が割れているが、客観的に見て
こちらの山に「霊峰性」を感じてしまうのは止むを得
ないところだろう。
高千穂河原から少し上がった所にある古宮跡の
鳥居の間からは御鉢の頂上が見えるが、二上山と言われればなるほどと納得するような山容に見える。
あたりは赤松の美林が多く、ざらざらとした感触の火山灰地によくこれだけ茂ったものと感嘆させられる。生命力の強さのなすわざで、それこそが日本古来の信仰のモチーフではないかとも思う。