『三国名勝図会』から学ぶおおすみ歴史講座

      第六回 大隅国 曽於郡 末吉郷A

 ※先月は都合により末吉郷Bを先に講義した。今月は末吉郷Aで、末吉郷の最後となる。

       末吉郷 A

位置 概        要 備   考
<旧跡> 末吉郷@<旧跡>の続き
  檍 原
 (アワギハラ)
地頭館より
東南1里
○日州檍原記(卜部兼連・著)を紹介している。これを略記しておく。(原文は漢文である)
・日向の檍原は上古の神跡で、記紀の神代巻にあるように、ここでイザナギノ尊が禊祓いをして、神直日(カムナオビ)をはじめ住吉三神など九神を産んでいる。そのことは藩主島津光久公が鹿児島諏訪神社神主の藤原(本田)信秋命じて書かせたという檍原の地図を見ても明らかである。

○檍原の諸説
 『書紀通証』…貝原益軒は北部九州にあったとし、筑前国糟屋郡に立花、那珂郡に住吉神社、席田郡に青木村、早良郡に小戸がある。イザナギ尊の禊祓いの場所はすべて筑前にある。
 『古事記伝』…分注に、上の書紀通証の筑前説を取り上げ、「由ありと覚ゆ」と書く。ただし、古事記伝本文で著者・本居宣長はどこにあったとも記していない
 『笈埃随筆』…日向の延岡は・・・、この地は書紀に記す檍原で、神代の都、天神地祇の旧地という。
 白尾国柱説…日向国臼杵郡延岡などの地名・祠の多いのは、後世に設置して祀ることもあるから、その類であり、信じ難い。
 そもそも檍原は大昔は日向全土に係る地名だったのが、分国・分郡などで境界が細分されたときに、あちこちに謂れとして残ったものであろう。
 檍原は大昔の大隅・薩摩両国分国以前の日向国南部を総称した地名で、一小地方のこととは思われない。また、禊祓いの霊場は単に一地方に限らず、諸国に沢山あったと考えた方がよい。
・卜部兼連が天和3(1683)年に記した。兼連は当時の神祇道管領。吉田家と並ぶ神道家であった。
 名勝図会の編纂者がここに転載したものである。

・『書紀通証』は谷川士清(たにがわ・ことすが)の著。本居と同じ伊勢国の出身で、本居より20歳ほど年長であった。
・『笈埃随筆』は橘三渓の著。日向・薩摩方面を訪れた時の紀行文。
・白尾国柱は薩摩藩の国学者。『麑藩名勝考』(寛政7=1795年)を著した。

※名勝図会の編纂者は最後の白尾国柱の説を最も肯定できるとしている。
  小戸池 地頭館より東南1里余  中裏村の檍神社の下にある。上古は大池であったが今は小さくなっている。清泉流出して石菖蒲が多く生えている。
 土地の者は神水とし、産婦が飲むと安産になると言われ、産月に参拝し水を受けるものが多い。
  橘 嶽 地頭館より
東1里15町
 中裏村、檍神社の北方の山岳中に聳える。「小戸の橘」がこれである。山中の谷川に「諸神の祓水」と言う所があり、社司はそれを「忍穂水」と言っている。
  上津瀬 地頭館より東3里12町  大裏村にある。檍神社からさらに東に2里余りの川瀬の名である。都城との境の山岳より南に流れ、檍原の東を過ぎ、志布志郷田ノ浦村を流れて志布志湾に注ぐ。近くには上津片加男神社がある。
○上津片加男神社…上津瀬にあり、祭神は八十禍津日(ヤソマガツヒ)・表津少童命(ウワツワタツミ)・表筒男命(ウワツツノオ)の三神。
・この川は現在の安楽川の上流に当たる。
  下津瀬 地頭館より南南東1里30町  中裏村にある。檍神社の東南28町ほどの地域。水源は東の山中で、松山郷を通過して野井倉川(菱田川)に合流する。当地では狩川と言っている。この川の水勢は緩慢で勢いは無い。
○下津片加男神社…下津瀬にあり、祭神は大直日(オオナオビ)・底津少童命・底筒男命の三神。
・現在の菱田川の上流に当たる。
  中津瀬 地頭館より東南東1里13町  中裏村檍原にある。檍神社の東13町ほど。水源は橘嶽で、檍原を東から西へ流れ、都城を通過して日向灘に入る。この川は速からず、遅からず、その幅は10間(18b)。
○中津真津男神社…中津瀬にあり、祭神は神直日(カムナオビ)・中津少童命・中筒男命の三神。
・現在の大淀川の最上流にあたる。
  磐根子 地頭館より東南東1里11町  いわねこ。中津瀬川(大淀川)の南岸にある。石のことで、川の中に黄色く瓜の形をしているのが見える。高さ3尺5寸、横幅3尺ばかりあり、神官は中臣祓いの「磐根樹根、立ち草の堅葉に言止みて…」の事だろうとしている。 ・中臣祓い…大祓いの時に唱えられる祝詞(のりと)。
 佐久良谷
   諸神跡
地頭館より東南東3里3町  大裏村にある。連山の間に高い丘があり、土地の者は「高天原」と呼んでいる。
 その北にある高い山を「高山」、北西にある低い山を「短山」(ひきやま)という。短山の4,5町となりには高い山があり、その山腹を「佐久良が崖(ひら)」と呼ぶ。そこから流れ出す沢を「佐久良谷川」といい、谷中には洞窟がある。
 この洞窟は「天の磐戸」といい、洞窟自体を神体としてお参りする人が多い。
 中臣の祓いに「高山の末、短山の末より、佐久良谷に落ち滾つ早川の瀬」というのに照合している。

  
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