『三国名勝図会』から学ぶおおすみ歴史講座

  
平成25年度

    第1回
 大隅国 桑原郡 日当山・踊 各郷  (H25.4.21)

  【日当山郷】 ※地頭館は西光寺村・日当山温泉郷近くにあった。

概    要 備  考
<山 水>
安楽川  上流は金山川で横川郷の山ヶ野金山に由来する。霧島神宮方面から流れてくる霧島川と合流して大津川(天降川)となる。 山ヶ野金山…寛永17年(1640)に発見されている。
山之湯 地頭館の北2里。佳例川村に属する。蝮の咬傷に効果がある。 現在の新川渓谷沿いにある。
<神 社>
日吉山王社  地頭館の北西28町にある。西光寺村の西光寺の境内に鎮座。祭神は近江の日吉大社と同じ。康治元年(1142)に西光寺が建立された時に、清水の台明寺の鎮守として勧請された。 祭神…日吉大社の祭神は大山咋(クイ)神で、山崩れなどを防ぐ治山の神だろう。
今霧島権現社 地頭館の北8町。西光寺村にあり、島津義久が豊後の大友氏を攻略する際、ここの竹を旗竿に使用したという。
神社合記 ○青龍権現社 ○上之山王社 ○中之山王社 ○下之山王社
いずれも佳例川村にある。
<仏 寺>
日当山浄土院
西光寺
 地頭館の北西28町余、西光寺村にある。本府大乗院の末寺で真言宗。開山は京都天台宗叡山48世の座主であるが、清水台明寺の住職を務め、近衛天皇の康治元年(1142)にこの寺を創建した。同時に勧請したのが上記の日吉山王社であった。 叡山…叡山は比叡山の略称でもちろん延暦寺のこと。
近衛天皇…第76代。母は藤原長実の娘・美福門院得子。
万寿山東林寺 地頭館の東側にある。福昌寺の末寺で曹洞宗。当郷の菩提所。
金峰山神照寺
三光院
地頭館の南南西23町、浅井村にある。大乗院の末寺で真言宗。開山は日秀上人。ここが日秀上人の入定の地である。
 【日秀上人伝記】
・上人は加賀国の太守の子であったが人をあやめて出家し、高野山に登って修行に入り、のちに密教行法を重ねて補陀落山に観音を拝しに行き、帰りに琉球国王の霊夢により、まず琉球において真言宗を弘布した。のち鹿児島に渡来して海岸に千手観音を祭る祠堂を建てた。梅岳君の知遇を得て、その娘・寛庭君の菩提を祈って善光寺如来堂を建立。その後国分に移り、大永3年(1527)に焼失した正八幡宮を再建したあと、神社の北東に三光院を創建した。天正3年(1575)12月8日より同5年(1577)9月24日に入寂するまで、水と穀物を絶った。享年75歳であった。
補陀落山…ふだらくさん。インドの南方海上にあるという観の音霊場。
梅岳君…島津忠良のこと。忠良は15代貴久の実父。
<旧 跡>
日当山城 地頭館の北西10町余、西光寺村にある。道鑑公(第5代貞久)の頃は中津川勘左衛門がいたが、天文の初めには清水郷を支配していた本田董親が兼領していたが、同17年(1548)、北原兼守がこれを攻略した。
 貴久は伊集院忠朗に出兵させて、北原氏側の守将など百人余りを殺害し、さらに清水城の本田董親を攻めて荘内に追い払うことに成功した。
古城合記 ○茶臼ヶ城…東郷村にある。 ○角井ヶ城…西光寺村にある。
野神宅地 地頭館の西南西1里、浅井村にある。縦に80間、横に60間の土地で、三方に二重塹壕の跡が残る。大塔宮・護良親王の居住跡と言う。大塔宮の事績は諸書に伝えられているが、当国にも来ているということだろうか。不詳である。
 また、佳例川の迫間というところに小さな祠があり、それは大塔宮に従がってきた大森彦七という人物を祭る祠と言われている。
護良親王…もりながしんのう。後醍醐天皇の五男で、元弘2年(1332)、足利幕府討伐のため挙兵。しかし2年後に鎌倉に流され、翌年には殺された。鹿児島にはその弟の懐良親王が渡来して南朝方を糾合すべく、しばらく谷山に滞在している。


 
 【踊郷】 ※おどりごう。地頭館は霧島市牧園町宿窪田(すくぼた)にあった。

概    要 備  考
<山 水>
虚国嶽 からくにだけ。地頭館より頂上まで北東に5里半ほど。霧島連峰の西峯である。一説に高千穂峯と併せて「二上峰」だとする。「からくに」とは太古からの言い伝えで、決して「韓国が見えるからそう名付けた」のではない。頂上は飯野郷・小林郷・曽於郡・踊郷の境をなしている。
金山川 横川郷の山ヶ野金山奥から流れ、日当山で安楽川となる。
石坂川 霧島山中に発し、当郷と日当山郷の境で金山川に合流する。
犬飼瀑布 地頭館の東南東35町、中津川村にある。瀑布の高さは20間余、横幅は10間ほどで、水量は豊富である。
大波池  大浪池とも書く。上記の虚国嶽の山頂にあり、霧島48池の一つである。東西の幅は300間、南北は200間ほどの池で、神龍の住処との伝承がある。
 一説では往古の噴火により穿たれた跡が池になったという。
(これが正しい。)
神龍…霧島山東麓の御池で名僧・性空上人が祈祷したところ池から龍の姿が現れたという伝説もある。
泉水池 地頭館の北東3里、万膳村にある。
地獄池 地頭館の北3里ばかり、西峯(虚国嶽)の山中にある。五畝くらいの広さで熱水が涌き、深さは知れないので地獄池という。
硫黄谷温泉 地頭館の東北東2里34町、霧島山中の谷間に湧出する。湧出量が多く、沢山の筧をしつらえて滝のように落とし、「打たせ湯」として利用している。
栄之尾温泉 硫黄谷温泉からは5町ばかり、尾根を隔てている。硫黄谷温泉と同じ泉質だが、やや柔和である。虚弱の人には向いている。
明礬湯 硫黄谷の上流3町ほどにある。近くの明礬山から湧出している。眼病に効能がある。
安楽温泉 地頭館の南南西1里にある。宿窪田村に属す。湧出の上に熊野権現社を建てている。灰汁湯で、硫黄の気は全くない。癪気を和らげ、筋肉痛などに効果がある。 灰汁湯…アクの成分を持つアルカリ泉。
塩浸温泉 しおひたし温泉。地頭館の南南西20町、宿窪田村にある。天下に名泉はあるが、梅毒に著効ある温泉はまず聞いたことがない。また刀傷にもよく効き、諸縣郡の吉田温泉に匹敵する。この温泉が知れたのは明和・安永の頃で、以上の奇効が次第に知れ渡り今では浴客が多くなっている。 明和・安永の頃…1764年から1781年の頃。『三国名名勝図会』が刊行される60年ほど前のことである。
殿之湯 地頭館の東北東2里半。底に金砂のようなものが多く、俗に金の湯とも言っている。
温泉合記 ○栗川温泉 ○大良温泉 ○鉾投温泉 ○平落温泉 ○手洗温泉 
<神 社>
妙見神社  地頭館の東南35町、中津川村にある。祭神は北斗七星。勧請年月は不詳。永享9年(1437)、税所敦武が新築したという棟札が現存する。当郷の宗廟である。
飯富大明神社 地頭館の北東24町、三体堂村にある。祭神はウカノミタマ。社伝に延喜・応和の頃の建立という。三体堂村・宿窪田村・中津川村・万膳村にある諸神社はすべてこの飯富社の末社という。 延喜・応和の頃…平安時代、西暦901年から964年。
神社合記 ○竪神大明神社 ○太平八幡祠
<仏 寺>
慈峯山長久寺
真福院
地頭館の北北東5町余、宿窪田村にある。大乗院の末寺で真言宗。当郷の祈願所である。
日峯山東光寺 地頭館の北北西4町余。本府福昌寺の末寺で、当郷の菩提所である。
踊 城 地頭館の西南西18町余、宿窪田村にある。金山川の畔、屈曲して西北はほぼ絶壁が連なる。
 往古は横川氏・税所氏・北郷氏北原氏の所領であった。
 【和気清麻呂伝】(『圃老巷談』による)
 清麿は若くして天下社稷の臣として皇統を守った。その頃、孝謙天皇の寵愛を受けた法王・道鏡を大宰府の神官・阿曽麻呂が宇佐神宮のお告げと称して「道鏡を天皇位に就ければ天下は治まる」とへつらった。天皇は清麿を宇佐神宮に派遣し、神託を聞いた清麿がありのままに奏上したところ、道鏡の逆鱗に触れ、ついに大隅国へ配流されてしまった。
 大隅国では桑原郡の稲積という者が近侍したが、この地方で行われている「河伯(かっぱ)祭」に美女を生贄として川底に沈める風習があることを告げた。清麿はそれをやめさせようと図り、成功した。
 のち、光仁天皇代の宝亀元年(770)、道鏡は失脚して下野薬師寺別当に左遷された。同じ年に清麿は許されて帰還した。
北郷氏・北原氏…北郷氏は島津氏本宗第4代忠宗の6男・資忠が始祖。筑前金隈の戦いで足利尊氏に認められ、荘内北郷に所領300町を得た。8代忠相の頃に最盛期だったが、荘内の乱で一時宮之城に移封された。だが12代忠能の時に回復し、17代目からは島津氏を名乗った。
 北原氏は肝付氏族で串良木田原を所領としていたが、兼幸の時に真幸院に移封(1345年)され、以後三ノ山城(小林)を居城としたが、元亀年間に島津氏に降り、伊集院神殿30町に改易された。14代が最後。

         桑原郡 日当山郷及び踊郷は終わり。                目次へ