『三国名勝図会』から学ぶおおすみ歴史講座

   
第3回  薩摩国 鹿児島之二    (H25.6.23)

     
 【神  社】

概      要 備 考
正一位
諏訪大明神社
 府城の東北、坂本村にある。鹿児島の宗廟であり、鹿児島五社の第一である。祭神は建御名方(タケミナカタ)命と事代主命の二座。
 由来は太祖得仏公(忠久)が奥州の藤原泰衡を攻めた時に信濃国の諏訪大社に勝利祈願を掛けたことによる。第5代貞久になって山門院(出水の野田郷)に居住した時、諏訪大社を勧請したが、次の氏久の代に出水から鹿児島東福寺城に転住し、ここを本府と定めたのちに諏訪神社も遷座させている。康永2年(1343)の頃という。
 大宮司は本田親徳。社人三十家。別当は安養院。
建御名方・事代主命…ともに大国主命の子で、天孫への国譲りの当事者であった。
東福寺城…諏訪神社より海に近い祇園洲多賀山にあった。
祇園神社  府城の東北、多賀山の麓にあり、祭神はスサノヲ命、稲田姫、八王子。別当寺は文殊院。市坊旋次(輪次)の制度がある。各市坊(町方)が持ち回りで祭を主宰していくというやり方である。
 正保元年(1644)に「」が始まり、高砂の翁媼を飾る。
…祭にひく「曳き山」のこと。
正一位
稲荷大明神社
 府城の北、坂本村、大乗院の東北1町ばかりにある。前の川はd木川だが稲荷社を通過した辺りから稲荷川とも言っている。祭神は倉稲魂(ウカノミタマ)神、ニニギ尊、伊弉冊(イザナミ)尊。島津家が稲荷神を尊崇するのは、始祖忠久公が摂津住吉大社境内で生まれた時に狐火が現れて守護したという伝承からである。
 山門院野田郷、都城島津庄、市来院でも祀り、第9代忠国の時代に本府へ遷座したという。祭には流鏑馬二騎がでて盛大なものである。
別当寺は宝持院。
大乗院…府下では真言宗の総本山。
住吉大社…海童神を祀る。ウワツツノヲ・ナカツツノヲ・ソコツツノヲの三神は潮流・干満・岩礁から船や船人を守る神々だろう。
春日大明神社  府城の東北、坂本村にある。祭神は建御雷(タケミカヅチ)命・経津主(フツヌシ)命・天児屋根命・姫大神の四神。本社は奈良の春日大社である。別当寺は西寿院。
若宮八幡宮  府城の北、坂本村にある。祭神は応神天皇・神功皇后・玉依姫・仁徳天皇。第6代氏久公が大隅正八幡宮から勧請したという。 この若宮八幡までが鹿児島五社である。
諏訪大明神社  府城の西北、坂本村福ヶ迫にある。始祖忠久公が近江坂本の日枝山王21社の一つで王子宮というのを勧請した。坂本という地名は、その近江の坂本に因んでいる。祭神はタケミナカタ命。
神明宮  府城の東北、坂本村向築地にある。祭神は天照大神・豊受大神・タジカラヲ・万幡豊秋津姫・・・。本社は武蔵国の芝神明宮。21代吉貴公が宝永3年(1706)に江戸より勧請した。
小城権現社  府城の北、坂本村後迫の丘にある。11代忠昌公が父で9代当主・忠国公を「小城殿の神」として祀っている。
若 宮  府城の南、坂本村有島にある。祭神は応神天皇・玉依姫・神功皇后・仁徳天皇。
○俊寛池…社前にあり、唐の港ともいう。往古の船着き場で鹿ケ谷事件の首謀者・俊寛僧都が硫黄島(鬼界ヶ島)に流された時にここから出航したという。
・鹿ケ谷事件…平家打倒の密儀が露見した事件(1177年)。他に平康頼・丹波成経が流されたが、この二人は許されて京に帰った。
弁才天廟  府城の東北、坂本村向築地の神明宮より南へ3町ほどの海岸べりにある。琉球国波之上山護国寺の弁才天女を祭っている。
 薩摩藩による琉球征伐の渡海の途中、弁才天女が現れて船団を守護したということから、征伐後に海岸入り江に小島を築き「池の王宮」として祭ったものである。
琉球征伐…慶長14年(1609)、樺山久高と平田増宗を大将として琉球王府を攻め、薩摩の属領化した。
曽根天神社  府城の東北、坂本村向築地にある。祭神、菅原道真公。
萩原天神社  府城の東北、西田村にある。祭神、菅原道真・中将・吉祥天女。
山王大権現社  府城の西、西田村にある。祭神は大国主・大物主・大己貴命・葦原醜男・八千矛・大国玉・顕国玉と七座だが、これらは同じ神の異名である。本社は近江国滋賀坂本の日吉社。
久富貴(くぶき)宮  府城の西、西田村新照院にある。郡山郷に鎮座する花尾大権現と同じく、丹後の局を祭る。天文24年(1555)に、第15代貴久公が建立した。 花尾大権現…忠久の母・丹後局と頼朝を祭る。「薩摩東照宮」と言われ、華麗な造りで有名。
船魂廟  府城の東南、武村船手にある。祭神は伊弉諾・伊弉冊(イザナギ・イザナミ)尊・猿田彦命。貞享5年(1688)、第19代光久公が海路擁護のために勧請した。ここには官船と水主が停泊している。初め船手は北東の春日神社下浜よりやや北の「加子町」にあったが、明暦3年(1657)ここに移された。 加子町…加子(かこ)とは船子のこと。兵庫県加古川の地名由来譚はそれを証明している。
大門口
弁才天廟
 府城の南、武村の海辺・大門口にある。第23代宗信公の生母・妙心君が城内に建立したのを、安永4年(1775)にここに遷座した。
荒田八幡宮  府城の南、荒田村にある。祭神は応神天皇・玉依姫・神功皇后。由緒不詳だが、社伝によると、往古は鹿児島の宗廟であり、祭式に流鏑馬があったという。
 建久8年(1197)の薩摩国図田帳に「大隅正八幡宮御領鹿児島郡荒田荘80町、地頭・掃部頭」と記されており、荒田荘が鹿児島神宮の神領であるがゆえに八幡神を勧請したのであろう。
聖之宮  府城の西、小野村烏帽子形の園田氏の宅地にある。祭神は不詳。
 大永6年(1526)に、薩州島津家の当主・実久が叛し、翌年には鹿児島城下にまで攻め上って来た。清水城にいた15代貴久公は城を捨てて園田宅に逃れ入った。園田家当主実明は機転を利かせて貴久公を聖之宮に隠し、実久一党をうまくかわしたという故事がある。
薩州島津家…第8代久豊の2男を始祖とする。出水(和泉)郷が本領。実久はその5代目。7代忠辰で廃絶した。
宇治瀬神社  府城の西北、草牟田村にある。祭神は豊玉彦・豊玉姫。『日本三代実録』の貞観2年(860)3月20日の条に「薩摩国従五位下鹿児島神、授従五位上」とある「鹿児島神」はこの宇治瀬神社であろう。言い伝えにこの宇治瀬の神は地主神とある。
 伝承に「2月と10月の17日に限って桜島小池村の海辺を進行する船が進めなくなってしまうという。この日は波が立って宇治瀬川を逆流し、海童が宇治瀬神社に参詣する」のだという。
日本三代実録…宇多天皇による勅撰国史。清和・陽成・光孝三代の天皇紀。延喜元年(901)、藤原時平らが撰修した。六国史の6番目。
年之宮  府城の西北、下伊敷村にある。妙谷寺山の後。祭神は五十瓊敷入彦(いそにしきいりひこ)命(古事記では印色入彦)である。垂仁天皇の第二皇子で諸国に灌漑池などを作る指導をおこなったので、灌漑により穀物(米)が増産された勲功により祀られ、「穀物の神」という意味の「年」を名付けられ「年之宮」になったようである。
春日神社  府城の西北、下伊敷、年之宮の西一町余りにある。祭神は上記春日神社と同じ。関白・近衛信輔の勧請による。
天満宮  府城の西北、下伊敷村の田の中にある。ここも近衛関白の勧請である。
愛宕社 府城の東北、坂本村後迫の山の上にある。貴久公の創建。
神社合記 蛭子社…坂本村。「ヱビス」社。摂津西宮の戎さんと同じ。
○荒神社…坂本村後迫。竈の神。
○住吉社…南林寺大門前の通りにある。本社は帖佐郷の住吉神社。
○諏訪神社…西田村窪田。伊集院忠棟の建立と伝えられる。
○大田大明神山…武岡の中腹にあり、祭神は大己貴命。本社は近江国栗本郡の建部大社。
○塩釜大明神…武村の塩屋にある。塩土翁を祭る。
○天満宮…吉野村大磯にある。本社は博多の網場天神である。
蛭児社…吉野村大礒。「ヒルコ」社。祭神は蛭児・事代主・大穴牟遅の三座。蛭児は国分郷の奈毛木神叢(なげきのもり)にある蛭児社に最終的に祀られたが、それ以前にここにも流れ着いたのであろう。
蛭子蛭児…似て非なるもので、前者はコトシロヌシの別名。海の豊穣をもたらす神。後者はイザナギ・イザナミの子で足が立たなかったので磐樟船に乗せられて流された不遇の神である。国分郷Bを参照。

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