『三国名勝図会』から学ぶおおすみ歴史講座

    平成26年度 第4回  

      
薩摩国 河辺郡 加世田郷(1)  (H26.8.17)


※ 加世田郷は今日の南さつま市に属する。島津氏の中興の祖と言われる忠良(法号 日新斎)の出身
 地で子の貴久が本家に入って15代を継ぎ、その子の義久・義弘・忠将・尚久の代に三州を統一した。
 藩政時代の地頭館は旧加世田小学校の場所に置かれていた。

概     要 備 考
<山 水>
野間嶽  地頭館の西南5里余りに聳える。片浦村と赤生木村に跨っている。
 西海道の西の果てで、本藩の名山である。山麓から山頂まで1里余、八合目以上は奇岩巨岩が多く、山頂へは岩石の間を攀じ登る。山頂からの眺めは素晴らしい。山上に娘媽(ろうま)神女を祭るので「のま」(野間)になったと言われる。
野間岳は標高591m
萬之瀬川  河辺村に源流を持ち、当郷の川端・村原・地頭所・益山を経て田布施村から海に注ぐ。支流に長屋川、神事川があり、ともに村原で萬之瀬川に合流する。 ・薩摩半島南部最大の河川で、長さ42キロ
諸白川  赤生木村を流れる小川だが、近衛信輔公が坊津謫居の折にこの川の水を「諸白の如し」と褒めたことから名が付けられた。 ・諸白…原料である米を極度に精白した日本酒のこと。
片浦港  地頭館の西南5里野間岳の東麓にある港。当藩の要港で、正保4年(1647年)に天主教を奉じる西洋人が長崎に到来した時、西国諸国に対して発令された鎮台令により、この片浦港にも役人が守備をしている。 ・ポルトガル船二隻がが長崎に来て通商を求めた事件。
桟敷島  周囲6町ほどの小島だが、遊覧に適した島である。
松 島  岩礁で松樹が数本生えている。
碁石浜  桟敷島の西1町にある浜で、碧石大小が集まって美しい。
笠 石  赤生木村にある。高さは一丈もあり、笠を思わせる形で、下に笠石権現の小祠がある。
 ○笠石の東5町、岩上に松の生えた大きな岩を笠松という。梅岳君(忠  良公)の詠に
 <旅人の時雨にぬれし大浦潟 笠石もあり笠松もあり>がある。
彌勒石  地頭館の西南4里、大浦村にある。高さ6間・周囲14間。形が仏像に似ているので初め「入道石」と呼んだが、のちに彌勒石となった。
諸島合記  ○鵜路島  ○向島  ○草蛎島…くさがきじま。今は「草垣群島」という。大小の群魚の集まる場所で、漁師だけが知っている群島である。
吹上砂山  砂丘が続く。詳細は「田布施郷」に記述されている。 
<居 処>
野間御崎
馬牧
 地頭館の西、7里余り、片浦村にある。野間嶽の西側一帯に広がる。周囲3里で北・西・南は海に面している。
<神 社>
 野間嶽
  権現社
 地頭館の西6里2町余、野間嶽の八合目に鎮座する。東宮・西宮に分かれている。
 祭神は東宮に二座。ニニギに尊とカアシツヒメである。西宮は三座で、娘媽(ろうま)神女、千里眼、順風耳である。ただし本田親盈の『神社考』には―西宮の祭神をホスセリ命・ホホデミ尊・ホアカリ命とし、のちに娘媽婦人を合祀したので「野間権現」と呼ぶようになった―と記す。
 村吏によるとこの権現の霊異は著しく、神火が現れることがあるという。神火は常に二つあり、径は一尺五寸と一尺で野間嶽山頂の白石という辺りから出現し、徐々に西斜面を下って「神渡」という所に下り、再び元来た道を帰って行くという。
 社司は鮫島氏、別当寺を愛染院という。
 ○本地堂…野間嶽神社の下に隣接している。堂内に娘媽神女・千里眼・順風耳の石像を安置している。
○「大日本国鎮西薩摩州娘媽山碑記並びに銘」(長崎人深見氏による)
  これには娘媽神女及び祭られるようになった由来が詳細に記述されている。福建の一女子で父と兄が漁に出たところ兄が遭難死するのを霊視し、海で難儀する人々を救うために身を海に捧げ、以後神女としてあがめられた―というのが骨子である。(宝永3年=1706年作)
○野間山大権現略縁起
  上の記述に準じている。(天明6年=1786年作)
中山伝信録天妃霊応記(著述年不明。琉球に伝わった伝承か)
  これによると、上述の娘は「天妃は…林氏の娘で本名を愿といい、幼くして霊感があり、<通賢霊女>と言われていた。兄の海難死を霊視してから願を発して海中に身を投じたが、これは雍熙4年(987年)のことであったという。以降、福建の海域では霊異を示すことが多く、たくさんの船人が救難されたので祀られるようになり、宗の徽宗皇帝時代に高麗への使いの船が救われたり、高宗皇帝の紹興26年には「霊応夫人」と命名され「霊応」の扁額が賜与されたりした。 
 ○白石権現…山頂から3町ばかり下った所にある巨岩。高さ数十丈あり、地元では神とあがめている。その傍から水が湧き出ている。
 ○神渡…赤生木村の海辺で、地元ではここに海に身投げした娘媽神女の遺骸が漂着したとする。
 ○田中宮別火所…猿田彦神を奉祀する。
千里眼、順風耳
順風とは追い風のこと。その流れを読み取る耳を持った神が順風耳。どちらも海運には欠かせない能力である。
中山伝信録天妃霊応記…由来不明だが中山とは琉球王国の異名であることから薩摩藩が琉球支配の中で手に入れたものか。
 この記述で初めて娘媽神女は本国で「天妃」として祭られた由緒が分かる。その年代は宗の初期であったことも、日本の伝承とは著しく異なっている。
 日本側の伝承年代が藩政期なのは長崎交易が清国とオランダに限定され、清からの交易船の通り道にたまたま「野間」という地名があり、しかも野間岳が「船通山」(海路の目当ての山)だったので、付会されたのであろう。
鷹屋
大明神社
 地頭館の北東19町余、宮原村の鷹屋山麓にある。鷹屋山は別名・宮原山とも言う。祭神は本殿ホホデミ尊、東殿ホスセリ命、西宮ホアカリ命。
 鷹屋は竹屋とも書く。
 初めは内山田村の竹屋郷にあったが、ここに遷宮した。地元では宮原村が天孫ニニギ尊の皇居の地であったという。(母のコノハナサクヤヒメが上の三皇子を生んだのは内山田の竹屋郷である。)
 社司は仁礼氏、当社は加世田郷の総鎮守である。
 ○竹刀山…宮原の鷹屋山に続く丘。内山田の竹屋山の遷移だろう。

  ※ 以上で 加世田郷(1)の項は終り
   
  ※ 引き続き、初年度に学んだ肝属郡の各郷のまとめを簡単に説明。(資料有り)
   今回は肝属郡百引郷(H22)と高隈郷(H21)を復習した。              
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