おおすみ歴史講座

        平成26年度 第9回

 
 【特別講座】(2月7・8日に東学習センターの同好会発表があり、その時の展示内容である)

    
    <肝付氏一門の系譜>

○肝付氏は大隅半島のほぼ中央部を流れる肝属川の支流・高山川を母なる川として肝属郡域を統治した中世後期から戦国末にかけての豪族で、天正年間に島津氏の軍門に降り、戦国大名としての最期を迎えた。


○特筆すべきは肝付氏が大隅に拠点を持ったのは、島津氏が都城の島津荘の荘官となった1180年代より150年も前であったことである。また、南北朝時代に、南下してきた足利幕府軍との戦いで一時期武家方の島津氏と同盟を結んだ以外は一貫して宮方(南朝)に与党したことでも稀有な存在であった。

○本家16代兼続(かねつぐ・1511〜1566)の正室は薩摩半島・伊作島津家出身で田布施郷の相州島津家の3代目に婿入りした忠良の娘(長女・阿南)であったが、反島津を貫き、南大隅の祢寝氏や日向の伊東氏と連合して大隅半島から島津氏の勢力を一掃した(所領は最大12万石と言われる)。
 しかし、永禄年間(1558〜1570年)になると、薩摩半島から北薩までを制圧した島津氏の侵攻に抗しきれなくなり、17代良兼(1535〜1571)が戦死すると間もなく降伏した。
 18代兼護(1561〜1600)の天正8年(1580年)、ついに高山から阿多に改易され、わずか12町(約400石)が与えられただけであった。ここに於いて戦国大名たる肝付氏は滅びた。



  
    <肝付氏流一覧表>(展示参考資料)

         肝付氏一門の始祖と系譜(左半分は本家系譜・右半分は分家)

肝付本家

前代

事     績

分 家

備  考

初代 兼俊(かねとし)

父:
兼貞

長元9年(1036)肝属郡弁済使。「肝付氏」を称す。 ※高山麓には入部していない。

@兼任

萩原

娘が肝付2代兼経の正室。

2代 兼経(かねつね)

父:
兼俊

島津忠久下向の頃、串良に土着? 妻は萩原氏。
 ※高山麓には入部していない。

 俊貞

安楽

牛根城守将・安楽兼寛は後裔。

3代 兼益(かねみつ)

父:
兼経

弟・兼春は萩原氏を継いだ。
 ※この頃麓地区に入部か

 行俊

和泉

 

4代 兼員(かねかず)

父:
兼益

阿仏と号す。文永11年(1274)「所領譲与案」あり。高山本城に道隆寺を建立した。

 兼高

梅北

文禄の役で一揆をおこした国兼は末裔で、壊滅後、梅北家は滅亡した。

5代 兼石(かねいし)

父:
兼員

弘安6年(1283)「所領譲与案」。盛光寺を建立。

A兼綱

救仁郷

5代目頼世が戦死。弟・朝元が出家して存続。

6代 兼藤(かねふじ)

父:
兼石

地頭代と領地争論し、鎌倉に出向したが、殺害される。

 兼幸

北原

串良木田原領主。1345年、真幸院へ

7代 兼尚(かねなお)

父:
兼藤

鎮西探題の論定により、地頭代の押領地が返還される。

 兼友

検見崎

20代兼明が肝付本家を継承した。

8代 兼重(かねしげ)

兄:
兼尚

兼藤の弟・三俣兼市に養子に入っていたが、本家を継ぐ。南朝の重鎮であった。

B兼春

萩原氏

萩原氏を継承する。

9代 秋兼(あきかね)

父:
兼重

妻は兼尚(伯父)の娘。

 兼明

前田氏

高山川の左岸を領有。

10代兼氏
(かねうじ)

父:
秋兼

島津氏とは融和しており、氏久の「氏」を名乗る。

D兼基

岸良

肝属郡岸良村 〃。

11代兼元
(かねもと)

父:
兼氏

同上。島津元久の「元」を名乗る。正室は忠国妻の妹。

 兼弘

野崎

肝属郡野崎村 〃。

12代兼忠
(かねただ)

父:
兼元

弟・兼政は頴娃領主として転出。

 兼行

津曲

肝属郡津曲村 〃。

13代兼連
(かねつら)

父:
兼忠

弟・兼光は大崎城主として転出。文明14年(1482)没。

 兼賢

波見

肝属郡波見村 〃。

14代兼久
(かねひさ)

父:
兼連

大永3年(1523)没。妹は根占氏と新納氏へ嫁す。

 兼秀

河南

 

15代兼興
(かねおき)

父:
兼久

天文2年(1533)没。42歳。娘は祢寝重長へ嫁す。

 信兼

小野田

 

16代兼続
(かねつぐ)

父:
兼興

妻は島津忠良娘・阿南。永禄3年(1560)以降、反島津。

E兼市

三俣

諸縣郡三俣村を領有。

17代良兼
(よしかね)

父:
兼続

垂水の伊地知氏、根占の祢寝氏と組み、反島津。

 宗兼

鹿屋

宗兼の後裔・忠兼が鹿屋氏を名乗る

18代兼護
(かねもり)

父: 〃

兄・兼亮に従い反島津攻撃をするも、牛根城で終戦。

I久兼

山下

 

19代兼幸
(かねゆき)

父:
兼護

天正81580)阿多に改易後の文禄2年(1592)誕生。

J兼朝

川北

 

20代兼康
(かねやす)

父:
新納氏

養子。父は島津氏一門の新納四郎左衛門。

K兼政

頴娃

4代目には島津忠昌三男が入る。

21代兼親
(かねちか)

父:兼康

所領は阿多に12町のみ。石高は400石くらい。
※兼幸家(阿多本家)が312石、兼康に56石という記録がある。

L兼光

肝付

大崎―溝辺―加治木と転領しつつ、島津氏に協力。のち喜入領主。後裔に小松帯刀が出る

(以下省略)

 

 


※肝付氏始祖・兼俊と2代目兼経との間に150年あり、諸説が提示されている。
※分家は
21家あり、初代の兄弟家を@、以下2代目の兄弟家はA、3代目はBというように区別した。13代兼連の弟・兼光が曽於郡大崎城主として分出したのが最後である。                                                 (出典:『高山郷土誌』『鹿児島姓氏家系大辞典』)

 
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