『古事記』から学ぶおおすみ歴史講座


   第7回 ホデリ命とウガヤノ命 
          (天孫降臨神話A・神武東征@)
(H27.11.15)

※ホホデミノミコトは海神の宮(ワタツミの宮)に三年の間暮したが、元の国へ戻りたくなり失くした釣り針を見つけてもらって帰って行く。トヨタマヒメはその時に孕んでいたので海辺で産もうとするが、産屋を完成する前に産気づいて子を生み落とす。それが「ウガヤフキアエズ命」であった。
 ・表は前月の続きから始まっている。
概     要 備  考

ホデリノ命

服従
 ホホデミは龍宮(ワタツミの宮)から本土へは一尋鰐(ひとひろわに)に乗ってわずか一日で帰って来た。
 兄で海幸のホデリに失くした釣り針を返したが、ホデリの心が荒んでいて攻めてこようとするので、海神(トヨタマヒコ)から貰った「潮満珠」と「潮干珠」を使って懲らしめたところ、ホデリの反抗心は消え、以後はホホデミの昼夜の守護をするようになった。
一尋鰐…ワニは「舟」のことで、沖縄では小舟を「サバニ」と呼ぶが、おそらく「小ワニ」の意味だろう。
昼夜の守護…律令制下では隼人の役目として「近侍」「宮門守護」「悪霊退散の吠声」等があった。

ウガヤ
フキアエズ

 トヨタマヒメは既に孕んでおり、海辺で産もうとしたが、天孫の子を海辺で産み落とすわけにはいかない、と鵜の羽で産屋を作りその中で産もうとしたが、鵜の羽で葺き終える前に産んでしまった。しかもその様子を夫ホホデミに覗かれ、八尋鰐(ヤヒロワニ)となって産む姿を見られてしまったので、恥じて本国に帰ってしまった。
 こんなふうに鵜の羽を葺き終える前に産まれた子なので「鵜葺草不合命(ウガヤフキアヘズ命)と名付けられた。
 夫ホホデミに対してトヨタマヒメは歌を贈った。それは
赤玉は緒さへ光れど 白玉の君が装ひし貴くありけり
 で、ホホデミはこれに対して
沖津鳥 鴨着く島に我が率寝し 妹は忘れじ世のことごとに
 と返した。
 ホホデミは高千穂の宮に580年過ごし、御陵は高千穂の峯の西にある。
 (注・統治期間が580年というのはホホデミ王朝があった。それが580年20代ほど続いたということだろう。)
 ウガヤフキアエズは叔母のタマヨリヒメを妻として、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・若御毛沼の4皇子を産んだ。
 五瀬(イツセ)はのちに「神武東征」に加わり、稲氷(イナヒ)は母の国である海原に入り、御毛沼(ミケヌ)常世国に渡った。
 若御毛命は別名を豊御沼命、又の名をカムヤマトイワレヒコ命といった。 
八尋鰐…ホホデミがワタツミ宮から帰ってくるときには一尋鰐でわずか1日で送り届けられたが、一尋鰐が超小型の船とすると、こちらは八尋(約12m)もの長さのある船を想像させる。つまりトヨタマヒメを生んだ海人族は航海民であった、という表明である。
ウガヤフキアエズ…鵜の羽を葺き終えないうちに生まれたゆえのネーミングとしてあるが、「隙間から覗かれる事は縁起が良い」という伝承は有り得ない。
 ウガヤは「大伽耶」、フキアエズは「統治できない」の意味で、倭国であった大伽耶を手放さざるを得なかった時代背景を読み込んだネーミングと考えたい。
稲氷命…『新撰姓氏録』に「新良貴」姓があり、「ヒコナギサタケの子・稲氷命の後裔で、新羅国で国主となった、とある。
 『三国史記』の「新羅本紀」によると新羅国(辰韓)の始祖赫居世の片腕・瓢公(ココウ)は倭人で、海を渡って来た。また第4代脱解(タケ)は倭人で倭国の東北千里にある多婆那(タバナ)国の出身だという。新羅国で王になったとすればこの脱解王のことか。
神武東征  ※ここから古事記では「中つ巻」に入る。

東征
@
 カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)は古日向の高千穂宮にいたが、協議の結果、東の方に天下を治める良い所がある――として東へ行くことに決定した。
 古日向から発航して筑紫の豊国(ウサツヒコ・ヒメ)岡田宮(一年滞在)・安芸の多ケ(示すへんに?)理宮(7年滞在)・吉備の高島宮(8年滞在)を経て「国つ神・サヲネツヒコ」の先導で浪速の白肩津(枚方市)に入港した。
 ここで登美(とみ)のナガスネヒコの攻撃を受け、一緒に行った長兄のイツセは敵の矢に当たり、のちに迂回した先の紀の国の男の水門で死ぬが、遺骸はその地(名草郡)の竈山に埋葬した。
 男の水門からさらに南下して熊野灘に回って熊野村に上陸したら大きな熊が現れ神武軍は皆正気を失ってしまった。この時に熊野の高倉下(タカクラジ)が横刀を献上したところたちまち正気に戻った。そしてその横刀を使用して荒ぶる神々を切り従えることができた。
 高倉下に横刀の由来を問うと、「夢に天照大神と高木神があらわれ、タケミカヅチに向かい中つ国に降って神武を助けるよう命じたところ、タケミカヅチは「自分がいかなくても平国の剣があるのでそれを降せばよい」と、高倉下の高倉に落とし入れた。これがその剣です」と答えた。
         (以下は次回12月20日に続く)
古日向の高千穂の宮…原文では「日向」だが、古事記の日向はすべて今日の宮崎県だけでなく鹿児島県全域を含んだ領域であり、間違い易いので「古日向」とした(以下同じ)。
 『三国名勝図会』の見解では宮崎県都城にあったとするが、私見では一カ所だけではなく数ヶ所あった。宮崎県では高原町(狭野神社)、大隅半島の肝属川中・下流域などが挙げられる。
豊国…宇佐津彦・宇佐津姫が首長。今日の大分県。
岡田宮…福岡県の遠賀川河口にあった。紀では「崗の水門」。日本最古と言われる岡湊神社が建つ。
タケリ宮…所在地不明。広島県府中市のどこかという。
高島宮…岡山県倉敷市。児島
竈山…現在も竈山神社が鎮座する。
高倉下…原文でも「高倉下」。「下」をジと読ませるが由来は不明。平国の剣(割注にフツノミタマとあり、石上神宮に納められている―とある)を自分の所有する高倉で受け、その高倉の下に住んでいたからか。
 
          (
この項続く)                   目次に戻る