『古事記』から学ぶおおすみ歴史講座


   第8回 神武東征A

※前回(東征@)の続き。
 
前回は神武天皇が熊野の海側の入り口で大熊に遭って惑わされた時に、タカクラジが献上した大刀「佐士布都(さじふつ)神」又の名「布都御魂(ふつのみたま)」により救われたところまで。今回はその後数多の豪族を平らげてついに橿原の宮を開くまでが描かれる。

概   要 備 考

東征
A
 高木神は神武軍の困難を見越して吉野山中を八咫烏に案内させた。そして山越えした吉野川の川上に到り、そこで筌(うえ)を使って魚を捕る人物「国つ神贄持(にえもつ)の子」に出会った。また行くと尾のある人がいた。光る井の中から出て来たので「井氷鹿(いひか)」といった。さらにまた尾のある人「石押分(いわおしわく)」にも出会った。いずれも神武軍に協力的であった。
 吉野川の上流の山を越えると宇陀の地に入った。そこには土豪「兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)」が待ち受けていた。弟は神武軍に恭順したが、兄は反抗したので大伴連の祖・道の臣、久米直の祖・大久米命の二人が成敗した。その地を宇陀の血原と名付けられた。
 この時に次の歌が詠われた。
<宇陀の 高城に 鴫(しぎ)罠張る 我が待つや 鴫は障らず 
 いすくはし くちら障(さや)る 前妻(こなみ)が 肴(な)乞わさば 立柧?(たちそば)の 実の無けくを こきしひゑね 後妻(うはなり)が 肴乞わさば ?(いちさかき) 実の多けくを こきだひゑね ええ しやごしや こはいのごふぞ ああ しやごしや
こは嘲笑(あざわら)ふぞ
 
 ここから忍坂の大室に到ると、また尾のある人「土雲(蜘蛛)八十建(やそたける)」がいたが奸計をめぐらして一度に全滅させた。そのあと登美毘古(とみびこ)を撃ったがその時の歌。

みつみつし 久米の子等が 粟生には 韮(かみら)一茎 そねが茎 そね芽繋ぎて 撃ちてし止まむ>

 最後に兄師木(えしき)、弟師木(おとしき)を撃とうとしたが、神武軍は疲れ果てており、次の歌を詠んだ。

<楯並めて 伊那佐の山の 樹の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾ははや餓えぬ 嶋つ鳥 鵜養(うかい)が伴 今助けに来ね>

 先に撃ったトミビコの妹トミヤビメを妻とした邇藝速日命(ニギハヤヒノミコト)が現れて「天神の子が来られたので追って参りました」と言って<天津瑞(あまつしるし)>を献上して仕えるようになった。
 
 以上のようにして大和国原を平定したので、神武は畝火(うねび)白檮原宮を建てて天下を治めた。
佐士布都(布都御魂)…「ふつ」とは今でも使う「ふと我に返る」の「ふと」のこと。人を正気に返す力のある太刀(魂)の意味。
・八咫烏…ヤタガラスはカモタケツヌミのこと。神武より先に南九州曽の峯から大和の葛城に移住していた。
国つ神群…熊野・吉野地方には南九州からの移住民が多かった。尾ある人とは山中で狩猟に従事する人々が「尻当て」を尻に装着した格好を見て言ったのだろう。
・兄宇迦斯・弟宇迦斯…アイヌ語で「伯父・長老」を「エカシ」というが、語源は同じだろう。
前妻・後妻…こなみ・うはなり。「なり」は倭人伝投馬国王の妻(女王)のこと。「こなみ」も元は「こなり」だったと考えてよい。
 日本書紀ではこの歌を<久米歌>としている。
みつみつし…エネルギーに満ち溢れている。
…かみら。辛韮(からにら)のこと。
邇藝速日命…先代旧事本紀にはアメノオシホミミの第一子となっている。ニニギとは兄弟。
天津瑞…天神である証拠の矢と靫(ゆぎ)。
畝火白檮原宮…畝傍橿原宮。畝傍山の麓。

皇后選定
 かって日向時代には阿比良比売(アヒラヒメ)を后として多芸志美美命(タギシミミノミコト)と岐須美美命(キスミミノミコト)の二人の皇子がいた。
 大和には后を連れて来られなかったのでこちらで新しい后を探すことになった。オオクメが言うには三島溝咋(ミシマミゾクヒ)の娘・セヤタタラヒメがよかろうというので、高佐士野(たかさじの)に遊びに出てきたタタラヒメを見つけオオクメが歌で求婚したところヒメの承認を得た。その時にヒメがオオクメを見て<あめつつ 千鳥ましとと など鯨ける利目(とめ)>(どうしてお前の目にイレズミを入れているのでしょう)と詠った。これに対してオオクメは<おとめに 直に逢はんと 我が鯨ける利目>(乙女にすぐに逢えるようにこうして目にイレズミをしているのですよ)と応えた。
 こうして神武とセヤタタラヒメは結ばれ、日子八井命(ヒコヤヰノミコト)、神八井耳命(カムヤイミミノミコト)、神沼河耳命(カムヌマカハミミノミコト)が生まれた。
阿比良比売…阿多の小橋君の妹。阿多君は隼人の祖であり、阿多隼人とともに古くから大隅隼人がいた。その一族だろう。阿比良は姶良。
多芸志美美・岐須美美…どちらも「ミミ」。投馬国王の称号である。大和生まれの皇子にも「ミミ」を付けているのは、神武東征とは投馬国東征に他ならないことを示している。
三島溝咋…書紀では「三嶋溝?耳神」とし、投馬国の王統であることを示す。

当芸志美美命

反逆
 神武天皇の崩御後、前后の長男である当芸志美美(タギシミミ)は後妻であるイスケヨリヒメを后としたが、三人の庶弟が邪魔になったので殺害しようとしたが、実母であるイスケヨリヒメはそうはさせじと三人に歌を贈って知らせた。
 三人の皇子は逆にタギシミミ殺害を決め、兵を準備した。次男であるカムヤイミミが殺害しようとして果たせず、結局三男のカムヌマカワミミがタギシミミを討ち取った。
 そこで皇位はカムヌマカワミミが継ぐことになり、カムヤイミミは弟を助けて祭祀を担当することになった。
神八井耳命…皇位を三男に譲り、次の祖先となった。太臣・小子部連・火君・大分君・阿蘇君・筑紫三家連…など19氏。長男のヒコヤイは茨田連・手島連。

     
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