『古事記』から学ぶおおすみ歴史講座

はじめに
※平成26年度まで「おおすみ歴史講座」は地元の地歴書である『三国名勝図会』を読み進めてきたが、既に6年が経ち大隅地方はもとより薩摩地方の大半まで学んだので、一応そちらは終了とし、今年度は古典に分け入ることにした。
 古事記を選んだのは、同書が日本最古の歴史書であるということと、神話部分の豊富なことが挙げられる。とくに神話部分は南九州とは切っても切り離せない「天孫降臨神話」(日向神話)が重要な構成要素になっており、われわれ南九州に暮す人間にとって必須の教養であろうと考えるものである。

第1回 古事記の成立 (平成27年5月17日。学習場所は同じ東地区学習センター)

(※テキストは岩波文庫の『古事記』を使うこととした。新本で1000円程度で入手できる。)

○古事記はいつ編纂されたか
  ・時代は奈良時代の初頭和銅5年で、西暦は712年。
  ・当時の天皇は第43代元明天皇。元明天皇は女帝で天智天皇の娘。
  ・元明天皇が天武天皇時代に史書の虚実を是正して正史を編纂しようとして果せないままだっ   たのを憂い、太安万侶に命じて編修させた。編修を勅命したのは前年の和銅4年9月18日    で、太安万侶はわずか4ヶ月余りで完成させた。

○編修者の太安万侶とは
  ・元明天皇に提出した古事記の序文によると、位は正五位上、太朝臣安万侶とあるが、官職   は書かれていない。
 ・太安万侶のこの事績については『続日本紀』には漏れているので、古事記編纂は史実として   も太安万侶が本当に書いたものか怪しいとして<古事記偽書説>が取り沙汰されて来たが、
  1979年に奈良市此瀬町の茶畑から墓誌を伴った太安万侶の墓が発見されて決着がついた
  ことは記憶に新しい。(現在墓は重要文化財に指定されている。)
 ・墓誌には「左京四条四坊さ、従四位下・勲五等・太朝臣安万侶。以癸亥年七月六日卒之。
        養老七年十二月十五日乙巳」
  とあり、編纂してから11年後の養老7年(723)の7月に死亡し、同年12月に埋葬されたこと  が分かる。
   官位が正五位上から従四位下に一階級昇進しただけであるが、官職は民部卿を得ていた。
 ・太安万侶の「太」「多」氏の出自は、神武天皇記によれば神武天皇の三人の皇子(ヒコヤイ・カ  ムヤイミミ・カムヌナカワミミ)のうち次男のカムヤイミミの後裔で「意富氏」である。

○誦習者の稗田阿礼とは
  ・誦習は「よみならう」と読み、稗田阿礼は28歳の時に天武天皇に見いだされ、「帝皇日継」(  ていおうのひつぎ=帝紀と同じ)および「先代旧辞」(せんだいのくじ)とを「誦習」させられた。
  天武天皇が諸家の保有している帝紀・旧辞がまちまちで真実とかけ離れているのを目の当た  りにし、ひとまとまりの史書に是正しようとして、稗田阿礼に勅命していた。
  ・稗田阿礼は身分が「舎人」であり、天皇の近習であったゆえ、その天才的な頭脳と漢籍の読  誦に長けていたことが知れ渡っていたのだろう。「舎人」の初見は応神天皇記にあるので古く  からの近習制度である。
  ・因みに舎人をなぜ「とねり」と読むのかについては本居宣長の説「との(殿)い(入)り」すなわ  ち、「宮殿に上がる(上がることができる)」人物から来ているというのは正しいだろう。
  ・稗田阿礼の出自は奈良県大和郡山市の稗田町で、猿女君一族と言われ、そこの売太(めた   )神社の主神として祀られている。

○編修方法に関して
  ・元明天皇の勅語に応えた「稗田阿礼の誦む所の勅語の旧辞を撰録して献上せしむといへれ  ば謹みて詔旨の随に、子細に採り摭ひぬ」という一文からすると、太安万侶と宮中の同じ場所  で、稗田阿礼が古文書類を拡げて読み伝え、それを太安万侶が筆録していく―というイメージ  が浮かんでくるが、そうではなく、天武時代の約40年前に稗田阿礼が読解していってある程  度まとめておいた「原古事記」を、生きていたら60代後半になっていたはずの稗田阿礼の最   後の御奉公的な助力を得て、太安万侶が三巻の史書として完成させたものであろう。
   そうでなければ、勅命を受けてからわずか4ヶ月で「諸家から集めた旧辞類」という厖大な資  料を一本(漢字数にして4万語余り)にまとめることは不可能だった違いない。

○日本書紀との対比
  ・日本書紀は古事記編纂後わずか8年で完成した「正史」である。編纂者は舎人親王はじめ
  複数の当時の学識者が選ばれて仕上げたのだが、その中には太安万侶も入っていたようで   ある。
  ・書紀はその後、「宮中での講義」などで読み継がれていくが、古事記は編纂後はほとんど顧  みられることがなかった。文体からも書紀はおおむね正統な漢文体であることが、支配層の教  養に適うものであった。
  ・しかし、同じ歴史を扱う書でありながら、日本書紀では古事記の記にはあるものが削除され  ている部分が多く、とくに南九州に関わる記述にそれが感じられるので、そういう部分は書紀  も参照していきたいと思っている。

   ※次回は上巻部分の「スサノヲの大蛇退治」までの学習を予定にしている。

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