『古事記』から学ぶおおすみ歴史講座


   第5回 葦原中国の平定           (H27.9.20)

※この段の内容を日本書紀で見ると『「巻2」・神代下』の前半がこれに該当する。しかし古事記には書かれている「@天菩比神(アメノホヒノカミ)A天若日子(アメノワカヒコ)がそれぞれ地上のオオクニヌシのもとに媚びついて高天原に復命しなかった」という説話を消失している。これは高天原からの使者が命令に背いたという内容であり、高天原の権威を失墜させてしまう危惧のために記載から外したのであろう。

概     要 備 考

天菩比神
 アマテラス大神は豊葦原瑞穂国を天忍穂耳アメノオシホミミ)に統治させようとしたが、地上があまりに騒がしいので、まずはアメノホヒノカミを使者に立てて交渉をさせようとしたが、ホヒノカミはオオクニヌシに媚びついて3年も帰ってこなかった。 アメノオシホミミホヒノカミはアマテラスの装身具である勾玉から生まれた兄弟神である。
 出雲大社の国造神主家である千家はホヒノカミの子の建比良鳥(タケヒラトリ)の後裔である。

天若日子
 高天原ではアメノホヒに代わる使者を選定したところ、天津国玉神の子・アメノワカヒコを良しとして地上に送ったが今度はオオクニヌシの娘シタテルヒメを妻にしてしまい、8年もの間復命をしなかった。
 高天原では再び協議がなされ、雉(きじ)を「鳴き女」として地上に降すことにした。しかしアメノワカヒコは雉の声を憎んで矢で射殺した。その矢が高天原の安の河原まで飛んで来たのでこれを投げ返すとアメノワカヒコの胸に当たりワカヒコは死んでしまった。
 ワカヒコの妻・シタテルヒメの泣き悲しむ声が高天原まで聞こえて来たので父・天津国玉神と妻子が地上に下った。するとそこにワカヒコとそっくりなアジシキタカヒコネが弔いに来ていたのをワカヒコと間違えたためアジシキタカヒコネは怒り、喪屋を斬り伏せ、足で踏みつぶしてしまった。その時に使った太刀を「大量(おおはかり)」といい、又の名を「神度剣」といった。
 アジシキタカヒコネはそのまま飛び去って行った。 
アメノワカヒコの父神「天津国玉神」はオオクニヌシの別名「ウツシクニタマ」と対になっている。
・アメノワカヒコとオオクニヌシの子アジシキタカヒコネとが瓜二つというのも上の天上と地上の「対概念」に相当している。
大量と書いておおはかりと読ませているが、「大葉刈り」(大きな草でも刈ることができる太刀)が語源であろう。

建御雷神
(タケ
ミカヅチ)
 地上の荒々しさが残る中、アマテラスは使者の選定に悩んだが、思金神(オモイカネノカミ)が「伊都尾羽張神(イツノオハバリノカミ)かその子のタケミカヅチノヲを遣わすべき―と建言した。
 イツノオハバリは子のタケミカヅチを推薦し、タケミカヅチは天の鳥船神を連れて葦原中国へ下った。

事代主神
の服従
 タケミカヅチと鳥船神は出雲国の伊那佐の浜に降り立ち、オオクニヌシとの国譲りの交渉に臨んだ。オオクニヌシは子のコトシロヌシが決めることと言った。コトシロヌシは美保岬に魚取りに出かけていたが帰って来るなり天孫に譲ると云い、乗って来た船を傾け、逆手を青柴垣にして隠れてしまった。 逆手を青柴垣にして隠れる…隠遁したということ。逆手は「服従」を、「青柴垣」は聖なる場所を意味し、霊的服従を表現している。

建御名方神の服従
 オオクニヌシにはもう一人の子・タケミナカタがあり、この神はタケミカヅチと力比べをして敗れ、信州の諏訪湖にまで逃げ、そこから決して外に出ないことを条件に赦された。 ・タケミナカタの落ちた先は長野県諏訪市の諏訪湖で諏訪大社に祭られている。諏訪神社は鎌倉時代以降武神として崇敬されるようになり、全国で二万五千社あるという。

大国主神

国譲り
 コトシロヌシもタケミナカタもどちらも天孫に国を譲ることを承認したのでいよいよオオクニヌシ本人の考えを訊くことになった。
 オオクニヌシは「自分も国を譲る考えであり、天孫が壮大な宮殿を建て宮柱を立てた宮柱が高天原にまで届くような物であれば、私は四方八方の山の蔭にでも隠れましょう。また子神百八十神はコトシロヌシの統率力に従うでしょう」
 それからオオクニヌシは出雲の多芸志の浜に宮殿を造った。
・『出雲国造神賀詞』には出雲国内に186社、『延喜式神名帳』には187座としている。
タギシとは「船舵」のこと。タギシの浜の宮殿とは出雲大社を指している。

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