『三国名勝図会』から学ぶおおすみ歴史講座

  第二回 日向国・諸県郡・志布志郷 A

※志布志郷は現在の宮崎県都城市を中心とする「諸県郡」に属していた。今回学んだのは志布志に建立された寺の由来とあらましである。
 志布志郷の地頭館(仮屋)は、志布志小学校の所にあった。

位  置 概       要 備  考
<仏 寺>
 秘山密教院   宝満寺 地頭館の東
3町余り
 京都・泉涌寺および奈良・西大寺の末にして「律宗」。聖武天皇の神亀年中、皇国鎮護のために創建し、皇室の勅願所となった。
 源頼朝・足利直義(尊氏の弟)などの尊崇も厚く、直義は仏舎利と塔婆を奉納している。後桃園天皇の時代に、泉涌寺とならんで「参内・院参」の資格を得た。
 本尊は如意輪観音。
天満神画像一幅…菅公の手になると伝える。別名「網綱天神」。
花園天皇御影像一幅…後水尾天皇(108代)の第八皇子である良純法親王の手書き。
千手観音
仏舎利…上述の解説を参照。
諸什器…「一国一基塔婆文書」(暦応3=1340年)・「聖徳太子像」(聖徳太子自作という)・「不動明王」(弘法大師の作)・「御書一幅」(知恩院開祖・良純法親王の作)・・・・・。その他多数。
鎮守八幡宮…源頼朝が鎌倉より勧請した。神領200石。
岩窟文殊および隠れ穴…本堂の南、境内の池の上に岩窟があり、中の小堂に文殊菩薩像を安置している。
大門仁王…志布志領主・新納実久の家臣・野辺薩摩九郎の配下の「熊田原兄弟」の形代として建立。
運慶墓…境内の山中にある。寺説では、本尊・如意輪観音像は運慶の作で、運慶は当寺に観音像とともにやって来て、ここで亡くなったという。
・「律宗」…唐の鑑真和上のもたらした宗派。
・「参内・院参」…
参内は天皇への御目見え。院参は上皇への御目見えのこと。
・「良純法親王」
…法親王は若くして出家した皇子。良純は京都・知恩院の開祖。
・「運慶」…鎌倉時代初期の仏師。子の快慶とともに東大寺南大門の金剛力士像を造っている。
 龍興山
大慈
 廣慧禅寺
 (大慈寺)
地頭館の西
11町余り
 京都・妙心寺の管下で、臨済宗。本尊・千手観音。開山は玉山和尚。開基は楡井遠江守頼仲。
 玉山和尚は信濃の人で、京都南禅寺開山・大明国師の後継者であったが、中国に渡り直翁和尚に就いて参禅し、8年の後に印可を受けて玉山の法名をもらい、帰朝した。
 大隅国大姶良村浜田港に漂着し、そこに「呑海庵」を建立し、のち大姶良に「龍翔寺」を建てた。やがて京都に招かれ亀山天皇に厚く寓された。
 70歳の頃、豊後国に崇聖寺を建立した。その頃、大隅国高山郷にやって来ていた南朝方の楡井頼仲が建立した帝釈寺が、志布志に移され、大慈寺と改められたが、頼仲は開山として玉山を招聘した。玉山は4年後の観応2(1351)年、大慈寺において示寂。勅諡は「仏智大通禅師」。
 楡井頼仲は延文2(1357)年、武家方(北朝)の畠山直顕の攻撃に敗れ、大慈寺の寶地庵に入って自害した。
 大慈寺は臨済宗の寺として十指に入る巨刹で、鹿児島藩内では最高の寺禄591石余り、天保年間(1840年頃)すでに住持は64世を数えていた。 
什宝(寺に残る文書や掛軸、書画の類)
 ・文書4通(正平年間・楡井頼仲)
 ・文書2通(観応3年と文和5年 修理亮・畠山直顕)
 ・文書1通(正平12年 伴兼重=肝付氏8代兼重)
 ・文書1通(正平13年 菊池武光)・・・・・など。
 ※この他にも島津氏当主の文書など多数あるが省略
大樹庵…足利将軍尊氏が建立したという堂。
即心院…大慈寺の塔頭。開山は2世剛中和尚。島津         氏6代氏久(齢岳公)の香華所。
支院…龍澤庵・見性庵・龍樹庵・大全庵。かってはこの      他に安住院・秀照庵・龍翔院・寶地庵・海雲庵・       慈雲庵・徳寿庵・延命寺・瑞泉院・大護院・龍護      院の11院があった。
・「呑海庵」…浜田小学校から西に300bほど行った所の高台にあった。
・「龍翔寺」…玉山和尚は大姶良城を居城としていた島津氏久の要請で、大姶良城の西に龍翔寺を建立した。氏久の菩提所となっていたが、現在、墓は鹿児島市内の島津家墓地に移されている。
・「楡井頼仲」…信濃国須坂の出身であるが、どのようにして大隅にやって来たかは不明。信濃源氏の末裔であることから、木曽の源義仲の流れを汲む者で、頼朝と離反したがゆえに平家のように薩摩・大隅に落ち延びた者の末裔かもしれない。
密厳山丈陸寺
  大性院
地頭館より東
7町余り
 鹿児島城下・大乗院の末寺(真言宗)。2世日盛上人は文禄・慶長の朝鮮の役に祈祷師の役目で従軍した。志布志郷の祈願所である。
天満宮…新納久頼の形代に、志布志領主新納忠勝が       天文3(1535)年建立したという。
 新豊山
   永楽寺
地頭館より南
5町余り
 鹿児島城下・福昌寺の末寺で、曹洞宗。志布志郷の菩提所である。
網掛観音…漁師の大垣某が海の中から網に掛けて引          き上げたという。
野中水…境内に湧く清水。松齢公(島津義弘)の朝鮮         の役の時、志布志村の海運業者・黒田六郎         左衛門がこの清水を献じたが、はるか朝鮮半        島に渡っても水に異変はなかったという。
福寿山無量院
  海徳寺
地頭館より西
7町半ばかり
 相模国の藤沢山清浄光寺の末寺。宗派は時宗。第7世遊行上人の託阿上人のとき、道鑑公(島津5代貞久)が宿願により請うて建立した。
天神画像…何人の作かは不明だが、和歌・連歌の席          に掛けておくと秀逸の句が生まれる。句が          神慮に適う時は顔に笑みを湛える、という。
仏寺合記 千手院…安楽村にある。真言宗で、安楽山口大明神の座主である。 ○願行寺…井崎田村。藤沢山清浄光寺の末寺で、時宗。 ○明星院…志布志村。真言宗で、笠祇嶽大明神の別当寺である。
観音窟 地頭館より西
3里余り
 槻野村にあり。崖の途中に大きな岩窟があり、縦横それぞれ3〜4間の直径がある。岩窟の上の絶壁には雲竜を彫刻し、傍らに「南無観世音菩薩・行仙書」と記してある。 ・槻野村は今の大隅町月野のこと。

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