山海経(せんがいきょう)

 
山海経は作者も編纂年代も不明で、「奇書」扱いされている。
しかし中国古代史学・古典文学者・小川啄治によれば、南山以下の五蔵山経は戦国期以前に東周の洛陽において作成された物だろうという。
 戦国期は、西暦403年から秦が天下を統一する221年までで、それ以前というと紀元前五世紀より前ということになり、確かに古い話で、地理的な内容が荒唐無稽なのもうなづける。
 
 山海経は十八篇の「経(書)」からなっており、以下のように五つに分類される。

  山海経   @ 五蔵山経 (南山・西山・北山・東山・中山の五経)
          A 海外経  (南・西・北・東の四経)
          B 海内経  (南・西・北・東の四経)
          C 大荒経  (南・西・北・東の四経)
          D 海内経

 
この中で、明確に「倭・倭人」と名指しで登場するのは、Bの海内経中の北経すなわち「海内北経(かいだいほっきょう)」である。この海内北経は倭人についての考察ではよく取り上げられる。
 だがそれだけに留まらない。直接の名指しではないが、洛陽から見て東に当たる経には倭人を指しているらしき表現がいくつか見られるのである。
 以上の倭人関連と思われる記載を、海内北経を含めて挙げてみると、次のようになる。

   海内北経  

「蓋(がい)国は、強大な燕の南、倭の北にある。倭は燕に属している。朝鮮は列陽の東の海、北山の南にある。列陽は燕に属している。」

(注)蓋国 ・・・ 今日の北朝鮮北部に名のある「蓋馬(ケーマ)高原」の領域にあった国で、後の高句麗国に重なる地域。
     
燕(国)・・・ 戦国期の燕は今日の中国河北省北部以東(北京・天津ラインより東)の大部を占める大国だった。燕が今日の遼寧省あたりまでを支配下においていたという表現が「蓋国は燕の南にある」だろう。また同時に倭の北にあるという表現から、倭の領域が蓋国(のちの高句麗国一帯)の南側、すなわち今日の北朝鮮にまで及んでいたと思われる。ただしこの倭を、列島の倭に限定する見方が普通ではあるが。 

倭 
・・・  日本列島が倭(倭人・倭国)の本拠地であることはおよそ異論はないであろうが、この記事からは朝鮮半島までが倭(倭人)の領域だったとしてもおかしくはない。であればこそ、燕の属国であるかのように書かれたのだろう。

朝鮮 ・・・ 朝鮮国ではなく、たんなる地名として出ている。列陽とはおそらく遼東半島のことで、その東の海とは今日の西朝鮮湾だろう。そして北山は朝鮮半島の北部の山脈、すなわち長白山脈のことで、蓋国もその山中にあるといってよい。列陽である遼東半島も、そのはるか南の島の倭が両者とも燕の支配下にあったと書かれているのに、朝鮮については何の帰属も示さないのは、この朝鮮は国名ではなく、地名でしかないことを意味しよう。

 
   海内経   

「東海の内、北海の隅に国がある。名は朝鮮天毒。この国の人は水に住む。ワイ(人偏に畏)・愛人がいる。」 

(注) 朝鮮天毒・・・朝鮮は上で見たように朝鮮半島のことで、特に遼東半島に近い北部を指す。天毒は「天竺」の誤記とする考えもあるが、毒と竺では誤記するには違いがあり過ぎる。誤記でないとすれば、そのまま受け入れるほかない。
 もともと朝鮮とは「朝の鮮やかな場所」のことで、東方が広々と開いており、朝日が昇る方面にあることを意味する吉祥語である。天も縁起の良い語であるから、「朝鮮天」までは好意的な名といえるが、「毒」で著しく貶められてしまう。今は中国史書にありがちな蕃夷への命名と受け取っておく。とにかく朝鮮半島でも北部の国であることには違いない。

ワイ人・愛人・・・ワイは畏に人偏を付けた漢字。ワイと言えば「魏志韓伝」のワイ(歳にさんずい)を想起する。実際、魏志のワイは北朝鮮あたりに存在していた。蓋国が後の高句麗とつながるとしたように、人偏に畏のワイ人はそのさんずいに歳のワイにつながることは間違いない。愛人(アイジン)もワイ人の転訛で、ただ言い換えたに過ぎないと思われる。
 あとで取り上げる魏志(正確には三国志魏書東夷伝)でも述べるが、ワイ人と倭人は直感的にも同一性を感じるのだが、「この国の人は水に住む」という箇所で、魏志韓伝記載の「韓にも入れ墨をした倭人がたくさんいる(要旨)」というのと、ピタリと重なってくる。入れ墨をした倭人とは水人(航海民)だからだ。
 また、後漢書の諸夷伝「檀石槐(だんせきかい)」伝によると、鮮卑族の石槐たちが、遼河支流で魚がたくさんいるのを捕えて食料とすべく、その東方にあった倭人国を撃って倭人を連行し、川漁に従事させた、との記述があるが、このこととも完全な整合を得るのである。



   海外東経  

「サ(差に長偏)丘、・・・・・東海にある。二つの山が丘を挟み、その上に樹木がある。大人国がその北にある。人となりが大きく、座って舟を操っている。・・・」


(注) 東海 ・・・現在の東シナ海を指す。東海にある、といえば朝鮮半島か日本列島の内の九州島のことであろう。

大人国・・・大人というと「よくできた人=君子」のイメージがあるが、ここでは文字通り身体の大きな人という意味だろう。なぜなら、このあとにすぐ「君子国」が出てくるからだ。魏志韓伝中の「弁辰(朝鮮南部の国)伝」に、そこの統治者は身体が大きい、という記述があり、またその国の人は倭人同様に入れ墨をしており、それは取りも直さず水人のことであるから、「座って舟を操っている」というのと見事に符合する。

   大荒東経  

「東海の外に大きな壑(たに)がある。そこは少昊(しょうこう)の国。少昊は帝・センギョクをここで養育した。・・・大人の国があり、大人の市もある・・・」


(注) 少昊国・・・少昊(しょうこう)は別名「白帝」。黄帝を中心とする五帝のひとりで、西方と秋を司るという。センギョクは黄帝の孫にあたる。東海であるなら「西方と秋」を司る神のいる国があるのは、そもそも矛盾しており、ここらあたりが山海経のいい加減で、信じがたい、との評価につながるところだ。ただ、西方と秋を支配する少昊(しょうこう)も実は本拠地は東海の国であった――というメッセージと取れなくはない。

大人国・・・上にも述べたように、やはり東海にあるとしている。この経にも君子国があり、共通している。


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