志布志市・曽於市の先史・古代遺跡25

遺跡名 時代区分 遺構・遺物および遺跡の特徴
 1   東黒土田遺跡
   (志布志町内之倉)
 縄文草創期 シラス層(24000年前)の直上からシラス層に掘り込まれた穴にドングリが貯蔵されていた。C14による年代測定で11300年前の頃のドングリと判定された
 2  倉園B遺跡 ( 〃 )  縄文早期 早期前半の竪穴住居跡4軒、連穴土坑10基、集石遺構60基などを検出。土器は吉田式の押引文と石坂式の綾杉文の中間様式の倉園B式が指標化。
 3  石踊遺跡
    (志布志町帖)
 縄文早期〜晩期 早期の塞ノ神式と前期の曽畑式土器が多く出土。塞ノ神式がアカホヤ層(6400年前)の下にあり、前期ではないことが確認された。
 4  鎌石橋遺跡 ( 〃 )  旧石器〜縄文前期 南九州の貝殻による条痕文土器文化はアカホヤによる断絶が言われた。だが、ここではアカホヤ層から日木山式、曽畑式が出ており、前者には条痕文が確認され、同文化が引き継がれていた。
 5  夏井土光遺跡
    (志布志町夏井)
 縄文早期・晩期
 弥生前期
竪穴住居3軒、集石遺構28基の早期の遺構を検出。遺物では石坂式、前平式などの土器、石器では剥片石器、穿孔具など。晩期の溝からはイネのプラントオパールが検出され、農耕の可能性を示唆。
 6  片野洞穴 
   (志布志町内之倉)
 縄文前期・後期・晩期、
 弥生前期・中期
洞穴内の層序が明確なため出土した轟式土器の細分化がなされた。また海から遠いのに海産の貝類が9割を占め、海との関わりの強さを印象付けた。
 7  野久尾遺跡
    (志布志町野首)
 縄文前期〜晩期
 歴史時代
縄文前期・中期の在地系土器に貝殻文が少ないうえ、春日式に縄文の施されたものがあり、中期の頃に瀬戸内系土器の強い影響があったと思われる。
 8  中原遺跡
    (志布志町安楽)
 旧石器、縄文早期・
 中期・後期
縄文時代中期末から後期の土器では、多量の在地系土器の中に瀬戸内系の磨消縄文型の物があった。中期から後期にかけて石鏃や石槍の代わりに石錘が多く出ているが、漁労が中心だったようだ。
 9  飯盛山古墳
    (志布志町夏井)
 古墳時代 市内から6キロ東の海に突き出た小半島に築かれた前方後円墳。墳丘80bを測る。志布志湾沿いの横瀬、唐仁、塚崎などの前方後円墳の中では最古と言われている。壺形埴輪、円筒形土器が出ている
10  長田遺跡
   (志布志市有明町) 
 弥生、古墳、中世 弥生時代の竪穴住居跡4軒と棟持柱付掘立柱建物跡、古墳時代の竪穴住居跡3軒、中世の土坑墓1基を検出。古墳時代の住居跡から見つかった炭化材は1600年前のクリであることが判明した。
11  原田古墳 
   (志布志市有明町)
 古墳時代 径40b、高さ15bの大型円墳だが、発掘調査はなされていない。ところが古墳の裾から20メートルほどの所に地下式横穴墓が見つかった。副葬は刀子だけの成人女性の墓だったが、頭部が原田古墳に向かっており、その関係が問題になっている。
12  前谷遺跡 
   (志布志市松山町)
 縄文、弥生、歴史時代 中心となる時代は縄文時代で、5軒の住居跡と、遺物では春日式土器が多く出た。縄文、撚り糸文もあり、瀬戸内地方との繋がりが連想される。
13  京ノ峯遺跡
   (志布志市松山町)
 縄文中期〜弥生、古墳 時代 標高170bの丘の頂上部に広がる遺跡。特筆すべきは弥生中期の円形周溝墓群で、その数20基、さらに方形も2基存在する。すべて単葬であり、関西のものでは必ず付随する陸橋が無く、独自性に富む。
14  鳴神遺跡
  (曽於市岩川八合原)
 縄文後期・晩期、歴史
 時代
縄文晩期の住居跡、大型掘立柱建物跡、貯蔵穴などを検出。さらに夜臼式土器時代の石斧の埋納遺構を発見。埋納石斧は22本におよび、九州では初めての出土。また縄文晩期の大型棟持柱付掘立柱建物跡の確認は県内初で、王子遺跡のものより数百年古い。
15  桐木遺跡
   (曽於市末吉町)
 旧石器〜近世 シラス層(24000年前)までに18の層位が観察され、そのうち10層で遺物の包含が確認された。第5層では縄文中期の瀬戸内系・船元式土器が出土したが、搬入品とされている。
16  地蔵免遺跡
   (曽於市末吉町)
 縄文早期・後期 早期は住居跡、連穴土坑、集石遺構、落とし穴、土器では前平式が中心。縄文早期の生活遺物がセットでまとまって出土した。
17  宮之迫遺跡
    (末吉町南之郷) 
 縄文中期〜後期後半 土器は阿高式が中心で、在地系が交じる。志布志市安楽の中原遺跡に似て石鏃、石槍が無く、石錘などの漁労的生業を思わせる石器が出る。
18  小倉前遺跡
    (末吉町深川)
 縄文中期・晩期後半 霧島火山噴出物「御池ボラ」(約4000年前)の直下から出る春日式土器を最初は前期末に位置付けていたが、ボラの年代と、共伴する船元式土器から中期に位置替えした。また縄文晩期末の夜臼式土器の大量出土で縄文農耕が示唆されている。
19  丸尾遺跡
    (末吉町二之方)
 縄文後期 市来式土器とは器形・文様が明らかに違うことから当遺跡出土の丸尾式土器は新たに後期の指標土器に指定された。主に九州東南部に分布するが、西北九州系の西平式とも共伴する。
20  上中段遺跡
    (末吉町諏訪方)
 縄文中期〜晩期 縄文晩期後半の刻目突帯文のある夜臼式土器が多数出土した。中に、底部に籾痕を有するものがあり、同じ大淀川流域に属する都城市黒土遺跡や水田跡が確認された同市坂元A遺跡があることを考えれば、当地域の伝播ルートを割り出すことも可能だろう。
21  入佐遺跡 ( 〃 )  縄文晩期 縄文晩期の指標土器である入佐式土器の初見地。先行する上加世田式と後続の黒川式の間に位置付けられる。
22  中岳洞穴
    (末吉町南之郷)
 後期後半・晩期 後期後半の西平式・三万田式・御領式、晩期の入佐式・黒川式の各土器が出ており、中九州の影響が強い。海から18キロと遠いにもかかわらず、ハマグリなどの海産遺物が多い。
23  耳取遺跡
    (曽於市財部町)
 旧石器、縄文草創期〜
 晩期(前期を除く)、古墳 時代〜古代
旧石器時代のナイフ形石器文化では台形石器がシラス層の上で見つかり、下からは剥片尖頭器、スクレイパーが出ている。同じ層には約90基の礫群があり、53号礫群から「耳取ヴィーナス」と名付けられた線刻石器が見つかった。長さ5.2a・幅3.9aのシルト質の頁岩製で、腹部・性器・髪が線状に刻まれている。
24  高篠遺跡
    (財部町南俣)
 縄文後期、平安時代 平安時代の遺構は住居跡、遺物は石製飾り具、墨書土器、青銅製装身具などがあり、他に多量の焼塩壺や製鉄跡を思わせる焼土・土製羽口・鉄滓が出土した。律令制下の公共的な建物の跡と見られている。
25  踊場遺跡 ( 〃 )  縄文早期・中期・晩期
 古代、中世
縄文早期の遺構は集石、遺物は塞ノ神A式土器の完形品。晩期では黒川式土器・石器・勾玉など。古代で注目されるのが平坦面を造成して建てられた掘立柱建物跡で、出土品からは寺社だった可能性が高い。

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〔出典:『先史・古代の鹿児島』(鹿児島県教育委員会・平成17年発行)の「大隅半島の部」より〕