飯盛山古墳

 旧志布志町の中心を流れる前川の河口付近から宮崎県
串間市に向かう国道を4キロほど行くと、ダグリ遊園地が
あり、そこから南の海に突き出ている岬を「ダグリ岬」という。

 右の写真はその岬のど真ん中に建つ国民宿舎「ボルベリア・ダグリ」だが、実は建物の直下にかっては古墳があった

 その古墳を「飯盛山古墳」といい、調査記録によると全長
約80メートル、後円部の直径が最大37メートル、前方部の
長さは43メートルの前方後円墳であった(諏訪昭千代『南
九州古代遺跡の考察』による)。

 志布志では唯一といっていい高塚墳だが、残念ながら旧
国民宿舎「ダグリ荘」が建設された時に破壊されてしまった。

 前方後円墳がこのような岬に作られるのは大変珍しく、南九州(長島町)と瀬戸内海の吉備の牛窓地区くらいしかないのではないだろうか。

 岬の三角点は標高41・4メートルだが、古墳の高さはそれより5メートルほど高かったようである。東、南、西方向はすべて海であり、海を見据えていることから海人系の王者クラスが眠っていたと考えられる。

 時代は出土したつぼ型埴輪から5世紀初頭と考えられているようだが、もう少し早まる可能性がある。

墳丘の東端から串間方面を望む

 出土した副葬品には つぼ型埴輪・円筒埴輪(写真下)などの
埴輪類、ガラス製勾玉、ガラス丸玉が残されているが、他にもあったとされる副葬品は見つかっていない。
 
 志布志湾岸には、飯盛山古墳の他に「神領古墳群」「横瀬古墳」「唐仁古墳群」「塚崎古墳群」などに前方後円墳だけでも30を数えるほどあり、横瀬、唐仁、塚崎はすべて国の史跡になっている。

 飯盛山古墳の背後にはきわめて海洋性の強い部族がいたと推定されるが、ほかの古墳も当時の海岸線を考えると、これまた海洋民(航海民)の存在を肯定しないわけにはいかないだろう。

志布志市埋蔵文化財収納庫にある
  壺型埴輪などの出土品

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