神武東征の真実

 歴史学者の見解では― ワカタケルこと雄略天皇は間違いなく実在と言える。 だが古事記、日本書紀の記述そのものは採用しがたい。記録としておおむね信用できるのは継体・欽明天皇紀あたり からだろう― というもののようである。
 雄略天皇が実在すると言えるのは @考古資料で確認できる(埼玉古墳群・稲荷山古墳出土の鉄剣銘など) A他国(中国)の史料に載っている(宋書の倭王・武)の二つの点から、また継体・欽明紀が信用できるのは、 その紀年が朝鮮史書のそれに大体当てはまるからだという。
 このどちらの条件も持たない記紀の記述およびそこに登場する人物、のいずれもその史実性あるいは実在は 疑わしい。どちらかといえば否定すべきである― これも学者の準公式的見解らしい。
 刑法では「疑わしきは罰せず」だが、歴史研究では「疑わしきは否定せよ」で、歴史の方はまるで取り付く島がない ように見える。戦前の極端な皇国民教育により記紀の神話記述などが、あたかもことごとく史実であるかのように教え 込まれたその反動が「疑わしきは否定」するほうに向かったという事情は察するに余りあるのだが、そういう事情とは 真反対に近い歴史教育を受けた者として、殆んどつぶさには教えられてこなかった記紀を今頃しげしげと操ってみると、 なかなかこれが面白いのである。
 古事記は年紀が無いので措くとして、日本書紀を眺めてすぐに気付くのは「万世一系単立」と言われる天皇制がそう ではないこと、また朝鮮半島との人的交流が大和中心主義のフィルターをはずしてみると、意想外に広くかつ深いこと である。新羅が半島を統一するまで(668年)は、倭人と半島人の「ナショナリズム的な確執」のようなものを余り感 じないし、言語も多量の交流記事がありながら意思不通で難儀したというような場面を殆ど見掛けることが無いのも その理由である。
 その点についてはおいおい書くことにして「疑わしきは」に戻ると、私は登場する人物はひとまず実在したと考える。 たとえば記紀上のスーパースターと言われる武内宿禰も、普通はその超長寿でもってまず即座に実在を否定されるの だが、応神天皇と仁徳天皇が親子ではなく並立する二つの王朝だったと捉える(的戸田宿禰=イクハトダノスクネの 記事、八田皇女の入内記事などによる)と、武内宿禰の寿命は百歳ほどになる。ここではその詳細は省くが「万世一 系単立王朝」の箍をはずしてみると、登場人物の実在感は非常に高くなるのだ。
 歴史学上、神武天皇の実在は証拠不十分で否定され、したがって神武東征も有り得ないとされる。しかし魏志倭人伝 を調べていくと、面白いことが分かった。
 私は邪馬台国(古田史学では邪馬壱国とするが、魏志以外はすべて「臺」としている。もし魏志が原本なら魏志以外 の史書に「壱」と写されて、使われていなければおかしい)は九州にあったとし、その位置は八女市郡域であるとする が、ここで面白いといったのは投馬国のことである。投馬国の王(官)は「ミミ」といい、女王(副官)を「ミミナリ (ミミの妻)」というが、人名に「ミミ」が付くのは神武天皇の皇子なのである。記紀の上では「ミミ」を名に持つ 登場人物は十二名(聖徳太子の幼名トヨトミミは除く)いるが、ぞろぞろと固まって現れるのは神武天皇の王子たち しかいない。皇子は次の五人である。

 タギシミミ、キスミミ(以上の二人、母は南九州のアイラツヒメ)、ヒコヤイ、カムヤイミミ、カムヌナカワミミ (以上の三人、母は摂津三島のイスケヨリヒメ)

 五人の皇子のうち四人にまでミミが付く。
 もし投馬国が南九州にあれば、これら「ミミ」皇子たち、なかんずくアイラツヒメの二人の子タギシミミとキスミミ は投馬国王と見て差し支えあるまい。そこで投馬国の位置を魏志倭人伝から比定してみよう。