【記紀を読む】 〜神話の部(古事記)〜

  @ 序説 記紀神話の対照

 これから記紀の神話を読んでいくが、古事記神話が最初から最後まで一貫して本文のみで構成されているのに対し、日本書紀では本文の他に「一書に曰く」が数多くあり、たとえばイザナギ・イザナミによる神々の生成に関する記事など、「一書」が十二書まであるという煩雑さで、とても一筋縄ではいかない。

 本文のみに限って言えば、古事記のほうが書紀のよりも内容が充実している上に出雲神話などは書紀の数倍の詳しさがありで、神話の部においては古事記のものを採用し、書紀はストーリーの大きな齟齬や神名の違いについて参照するにとどめることにしたい。

 引用と考察に使う本は 岩波文庫本 『古事記』(倉野憲司 校注)で、神話の部分(古事記では「上巻」)は細かく項立てされており、読む者の便に、はなはだ有効である。

 この序説では、目次として項立てされたそれぞれの箇所に該当する書紀の神話を、表にして対照させ、併せて書紀の「一書」の数も記載した。


  <記紀神話対照表>

古事記神話(上巻)の目次・項立て 日本書紀神話(巻1・2)の本文 日本書紀「一書」数
(1)別天神(コトアマツカミ)五柱  神代(かみよ)上 6書
(2)神世七代  神代七代 3書
(3)伊邪那岐命と伊邪那美命
  1.国土の修理固成  おのごろ島生成 「国生み」まで10書
  2.二神の結婚  陰陽の交わり
  3.大八島国の生成  国生み
  4.神々の生成  山川草木の神々 「三貴子」まで12書
  5.火神被殺  (「一書」にあり)       〃
  6.黄泉の国  (「一書」にあり)       〃
  7.禊祓と神々の化生  (「一書」にあり)       〃
  8.三貴子(アマテラス・スサノヲ・ツキヨミ) 山川草木神のあとに生む(禊ぎなし)       〃
  9.須佐之男命の涕泣  (「一書」にあり)  〃
(4)天照大神と須佐之男命
  1.須佐之男命の昇天  天照大神の稜威の雄叫(たけ)  「誓約」まで3書
  2.天の安の河の誓約  誓約(うけひ)と五男三女神の生成       〃
  3.須佐之男命の勝さび  素戔嗚(スサノヲ)の乱暴狼藉 「石窟籠り」まで3書
  4.天の石屋戸  天照大神の石窟籠り       〃
  5.五穀の起源  素戔嗚(スサノヲ)の出雲降り 「大蛇退治」まで6書
  6.須佐之男命の大蛇退治  八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治        
(5)大国主神
  1.稲羽の素兔(しろうさぎ)  ※書紀に出雲国の描写はない
  2.八十神の迫害
  3.根の国訪問
  4.沼河比売への求婚
  5.須勢理毘売の嫉妬
  6.大国主の神裔
  7.少名毘古那神と国造り
  8.大年神の神裔
(6)葦原中国(ナカツクニ)の平定
  1.天菩比(アメノホヒ)  天穂日命を中つ国に派遣 (7)の5項まで8書
  2.天若日子  天稚彦を中つ国に派遣
  3.建御雷(タケミカヅチ)  経津主神と武甕槌神とを派遣
  4.事代主神の服従  事代主神の退去
  5.建御名方神の服従  ※タケミナカタ神は無い
  6.大国主神の国譲り  大国主神の退避(八十隈に隠居)
(7)邇邇芸(ニニギ)
  1.天孫の誕生  天津彦火瓊瓊杵(ホノニニギ)
(天照の孫)の誕生
  2.猿田毘古神  ※猿田彦神は登場しない
  3.天孫降臨  日向の襲の高千穂峯へ天降り
  4.猿女の君  ※猿女君は登場しない
  5.木花の佐久夜毘売  本名・鹿葦津(カアシツ)姫
(8)火遠理(ホオリ)
  1.海幸彦と山幸彦  兄弟の幸替え(弓と釣り針) (8)の3項まで4書
  2.海神の宮訪問  海宮(わたつみのみや)に3年
  3.火照命の服従  兄・火闌降(ホスソリ)命の服従
  4.鵜葺草不合(ウガヤフキアヘズ)  母・豊玉姫、妻・玉依姫。西洲宮 4書

※日本書紀の描写を古事記と比べると―
 @大国主神の項全体(出雲神話と言われる部分)が全く抜けている。
 A天孫降臨で「猿田彦」と「猿女君」が登場しない。
  ―という二点できわめて大きな違いがあることが分かる。 

 @の理由としては日本書紀の編纂当時の志向に関わろう。
 すなわち白村江で大敗を喫した倭国王権に代わるべく、天武朝を起点として整備を急ぎつつあった中央集権的日本王権の「列島内自生および万世一系」性を極度に強調し、半島を統一した新羅や大陸の唐王朝の侮りを跳ね返そうという強い意志が背景にあったことである。

 Aについては猿田彦と猿女君の土着地である伊勢の祭祀権をめぐる確執のような背景が考えられると思うが、よく分からない。精査が必要と思われる。


※付記ー古事記・日本書紀成立の事情

古事記 日本書紀
成立年 和銅5年(712)1月28日(『古事記』序) 養老4年(720)5月癸酉(21日)(『続日本紀』)
編纂者   太朝臣安万呂(稗田阿礼)  舎人親王・紀朝臣清人・三宅臣藤麻呂ほか
発注者   元明天皇  天武天皇・元正天皇
成立由緒  和銅4年(711)9月18日の元明天皇の勅語による。稗田阿礼が読誦した旧辞を選録してまとめ、天皇に提出した。  最初、天武天皇の勅命(天武10年=682年)で、川島皇子以下12名に「帝紀及び上古の諸事」を記すよう要請があったが完成を見ず、その後、奈良時代になって再び編纂の気運が高まった。元明天皇の和銅7年には国史編纂の記事が見え、最終的には舎人親王を責任者として元正天皇の養老4年に完成した。
備考  『古事記』序によると、28歳の稗田阿礼に帝皇日継及び先代旧辞を読誦させたのは天武天皇であった。
 その史料が有りながらなかなか完成を見ない正史(日本書紀)に業を煮やしたのが元明天皇で、安万呂に命じてまとめさせたのが古事記であろう。
 『古事記』序にあるように、天武天皇の時に稗田阿礼によって大方の読誦は終わっていたらしい。ただ正史となると中国の正史と同様紀年がなければならず、また諸家の有する旧辞などとの整合や天武天皇から始まる列島内自生史観に適合するように削除・潤色を施したため、編纂にはかなり手間取った。天武天皇の最初の勅命から実に38年目の完成であった。


    序説:記紀神話の対照 終り                 「記紀を読む」の目次に戻る