もう一つの東征(東遷)説話

今日の史学では「神武東征」は認められていない。その理由は

 @ 神武東征は古事記・日本書紀の記述に基づく。だが、両書の記述は証拠不十分であり信用し難い。特  に神武天皇の東征説話は神話的記述に満ちており、なお一層信じるに足りない。また太平洋戦争の直前  に国を挙げて推進した「皇国民教育」 によりそのような荒唐無稽な史観を押し付けられ、敗戦後は一転  して「神風なんか吹かなかった」「天皇は現人神ではなかった」と一切が否定されたため、古事記も日本   書紀もいかがわしい歴史書でしかないとして、両書を学ぶことへのアレルギー のようなものがあった。 

 A そもそも神武東征の出発点である日向において、ニニギノミコト以下神武天皇(ワカミケヌ)までの四代  が王宮を構えていたなど有りえる筈はない。従って「ソジシの空 しい国(貧寒な何もない国)」から豊かな  「中央」への東征などとんでもない話だ、とする津田左右吉の史観が戦後は主流になった(ただし津田は  戦前からそのような主張をしていた。俄か仕立ての日向神話否定論者ではない)。

というものである。
 
 今日は日向神話はもっぱら神話学者にあずけ、自らはほとんど言及しないのが歴史学者の矜持らしい。文書や金石文のない時代については「触らぬ神にたたりなし」で済まそうとしているのが現状である。

 それも分からないではない。研究対象の時代にたくさんの古文書や金石文があればまずそれを解読・解明するのが筋であろう。それによってその時代の客観的把握がかなり可能になることはいうまでもない。だが殆どそれのない時代はどうするのか・・・・・。

 問題は古事記や日本書紀が「古文書」に該当するかどうかではないだろうか。

 @の理由から年配者の多くはこれを即座に否定するに違いない。またAの理由を挙げて
否定する人もいよう。

 筆者は@で示したような「皇国民教育」を受けてはいないし、Aの理由である「貧寒な南九州」という当時の地域性について必ずしもそうとは言えないという立場をとるので、古事記・日本書紀が全く古文書に価しないとの考え方はしない。推古朝から始まったとされる正史編纂への志向が天武朝に至って本格化し、元明天皇の時代についに完成を見たわけだが、そこには天武時代の「絶対天皇制の正当化」という「偏向」があった事は間違いなく、従ってその分を割り引いて読んでいけば意外にも記紀の「古文書性」が浮かび上がって来るのだ。

 しかし天武時代に強く志向された「絶対天皇制」はふたつの「偏向」を記紀という正史に刻まずにはおかなかった。ひとつは「天皇制列島内自生説」でありもうひとつは「単立王朝説」である。
 この二点に留意しつつ記紀を読むと、案外その当時の時代性をきっちり押さえて書かれていることが分かる。

 そのような観点からもう一度「古文書」としての記紀を読み直していくことは古代史に興味を持つ者の責務ではないかと思う。といって記紀は膨大であり、両書には同時代史としての矛盾も数多くあるので、解読の前途は遼遠である。

 ところで、記紀の「神武東征」など信用しないという人でも記紀を離れた「風土記」に「南九州からの東征(東遷)」らしきものが描かれていると知った時、それをどう考えるだろうか?
 記紀の立場からでも、南九州の立場からでもない観点から記された『山城国風土記』がそれである。


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